見出し画像

世界は単純明快に複雑怪奇だ。#自己犠牲の罠

先日、とある経営者が集まる勉強会に参加してきました。その勉強会は、経営のやり方ではなく、すべての根本になる「あり方」を学ぶ勉強会で参加者が順番に「何のために経営をするのか?」とのシンプルで本質的な問いに対して自分の考え方を発表する場になっています。参加者は勉強熱心な経営者ばかりで、皆さん事業の目的とされる理念や理想を語り、また、どのようにしてその理想を実現するかの理論構築までしっかり発表されて、非常に勉強になると共に、我が身を振り返り気づかされることが多々あります。

画像1

誰も異を唱えない理念

「何のために経営するのか?」については以前もこのノートに私の所見を書きましたが、それなりに熱心に事業に取り組まれている経営者の方はよもや、オレだけ儲かればいいとか、自分だけ良ければいいとか、今が楽しければそれでいいとか言われるわけはありません。皆さん、自己実現に対する強い願望は抱きつつも、社員さんやステークホルダー、そして顧客の幸せに貢献したいと口にされます。そしてそれは表現は様々ですが経営理念に落とし込まれており、それを社内で共有する事が事業の根っこの部分になっていると言われます。皆が幸せになることを皆が願い、同じ方向を向いて一丸となって事業に取り組む。非常にシンプルでわかりやすいロジックですし、誰もそれに異を唱える人はいないと思われます。にもかかわらず、実際には社内でいろいろな問題が起こり、不協和音が発生して人間関係に亀裂が入り、最終的には袂を分かつ事さえ起こります。考えてもみれば、本当に不思議なことです。以前の記事はこちら、

頭で理解している事と感情は違う

勉強会が終わった後、雑談をしていた際にメンバーの中でも最も勉強熱心で経営理念の理論構築も、それを実現するための仕組み作りにもがっちりと取り組まれている社長から、幹部社員2名が同時に退社するとの衝撃の告白を耳にしました。本人は若手にチャンスが巡ってきたのと、もう一度社内体制を整える絶好の機会だと笑っておられましたが、その心中はやはり誰にでも受け入れられ、思いを同じくしてもらえるはずの理念が事業部を取りまとめる幹部社員2人とも心底共有できていなかったことへの後悔の念がどこかにあるように感じられました。事業の目的である理念を言葉に表し、額に飾り、口にする事は簡単ですが、事業に携わるメンバー全員が本当にそれを理解し、コミットメントしてすべての判断基準になるようにするのはやはり至難の業だと改めて痛感しました。言葉を頭で理解するのと、それに感情を込められるのは全く違うと言うことだと思います。

画像2

理念とは覚悟であるべき。

スティーブン・R・コビー博士がその著書「7つの習慣」の中で売り手と買い手の関係性、あり方として提唱したwin-winの概念は世界中でその著書が爆発的なベストセラーになったことにより大きく広まりました。しかし、弱肉強食の資本主義経済の中では売り手と買い手は利益相反の関係にあるとされwin-winの関係を保ちながら取引するのは簡単なことではありません。いわんや、多くの経営者が理想に掲げる三方よし、私たち株式会社四方継が理念に掲げる四方良しの世界の実現は非常に難しいバランスを丁寧に繰り返し整え続けなければ成り立たないと言わざるをえません。事業を継続するには顧客からの信頼を集めることが第一義となりますが、顧客目線に寄りすぎて協力業者や自社を犠牲にしてしまうと当然、事業は立ち行かなくなります。経営理念や、それを叶えるためのロジックを理屈で整理すると簡単ですが、それを実際に常に実務で体現し続けるのは生半可なことではなく、粘り強く仕事に向き合える強い精神力と体力が必要です。その認識を持った上で理念を唱えるべきだし、それには大きな覚悟が必要です。

画像3

自己犠牲の罠

皆の幸せを願い、誰にでも優しくなると言う事は同時に全員に対してある程度の厳しい姿勢を持つ事を余儀なくされます。その厳しい面を明らかにしないまま、耳障りの良い三方よしの理念を掲げると、バランスを失い、どこかを犠牲にしてしまいがちで、特に一番手っ取り早く負荷をかけやすいのが自分自身です。自分だけが我慢して周りのみんながハッピーになればそれで良いと言う考え方は、一見美しい博愛主義に見えますが、結局長続きするものではなく、そのうち自分が我慢しているのだから、相手にも我慢してもらいたいと思うようになるものです。不機嫌は人間最大の罪だと文豪ゲーテはいましたが、自己犠牲の積み重ねはどうしても気分よく過ごせることができなくなります。これが連鎖すると三方よしの理念は逆にひっくり返り、さんぽう我慢の最低のモデルになってしまいかねません。すばらしいはずの理念も少しのボタンの掛け違いで最悪の結果を招いたりするのです。

画像4

シンプルで複雑な原理原則

私は15年位前から原理原則型のマーケティング理論を学び始めて、様々な研修やセミナーに足を運び、古典的な自己啓発系から最新の組織論までいろんな本を読み漁りました。長年学び続ける中で気づいた事は、どの勉強会に行ってもどんな書籍を読んでも根本的な原理原則はどれも同じようなことを書いてあると言うことです。その時は、意外に世界はシンプルにできているんだと思いました。簡単じゃんと。しかし、実際、その単純明快な議論を自分なり、自身が経営する事業所内で実践しようとするとどれも一筋縄でできるものではなく、思いもよらない問題が次々と起こり、やることの全てが何一つうまくいかない時期もありました。世の中はすべからず表裏一体と言われますが、単純明快な理論こそ、実は奥深く、様々な条件や理論だけでは整理がつかない人の感情が関係しあって複雑怪奇になるものだと感じさせられた次第です。だからこそ、編纂されてから3000年経った今も論語が読まれ、学ばれているのかもしれません。
それでも、やっぱり理想を念じて持続可能で幸せが循環するような会社や地域社会を実現させたいと思うのです。それには実践実践また実践、やると決めたことをやるしか他に道はないと思うのです。

画像5

_______________

タレンティズムを柱に据えた自立循環型組織へ改革するワークショップやってます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?