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防災とボランティアの日、1.17

あの日から28年が経ちました。さすがに社会人でも神戸の大震災を知らない大人が増えてきて、まるで空襲を受けた跡のような業火に焼かれ焼け野原になった凄惨な神戸の風景も徐々に忘れ去られようとしています。

天災は忘れた頃にやってくる

人は忘却する能力を持っているおかげで、精神の安定を保っていられると言われます。いつまでも、苦しみ、悲しみを引きずって生きていく必要もないし、悲しみが和らぐこと自体は決して悪いことではないと思います。しかし、せめて震災を知らない若い世代に対して、ある日突然、日常は崩れ去り、想像もできないような世界が目の前に突如として現れることを教訓として伝えていきたいと思っています。大いなる大自然の力に人は抗う事はできませんが、せめて大きな災害はいつか起こるし、いつ起こってもおかしくないことを認知して、できることなら少しでも準備をしておく心構えを持つべきだと思っています。

命の重みを忘れた大工

私たち株式会社四方継は今期で第23期目をスタートさせました。要するに、阪神淡路大震災の5年後に神戸で立ち上げた会社なわけですから当然、この事業所を創業したのと震災は深い関わり合いがあります。
震災の当日、最も被害の大きかった長田で、私が実際に目にしたのは、軒並み倒壊した木造住宅の瓦礫の山でした。それらは木造と言う弱い構造で建てられた建築物だったから倒壊して、人の命を奪ったのではなく、人の命を守る立場で建物を作る意識がなかった建築業者の人災でもあると感じたのです。神戸の震災以降、建築基準法は改定され、より強固な建物を建てるのが義務化されましたが、当時すでに施行されてあった新耐震基準に沿って建てられた木造の建物は損傷はあるものの、倒れることなく人の命を守っていたのです。考えが浅く、目の前の金儲けしか目に入らない建築業社のせいで多くの人の命が失われたのは事実です。

当たり前の責任を当たり前に果たす

倒壊した建物のパターンとして顕著だったのは、狭小地に車を止めるスペースを確保すべく、一階の壁を取っ払う無理な改築をした建物でした。住民の要望に応えて、建築会社や大工が家を改造したのは間違いないですが、安全性を担保できない建物を作ってしまったのは人災と言うよりありません。
その仕事に携わる人達の、建築の仕事は人の命に関わる重大な責任を負っているとの意識が欠如していたからこそ、あんなに大きな災害になってしまったのだと、自分自身の考え方も改めなければと強く思ったのでした。
人の記憶は、時間とともに薄れていきます。それは致し方ないとしても、同じ過ちを繰り返さないように、事業のスキームに組み込んで、教訓を次の世代に伝えることが私たち建築事業者の責任だと考えています。
私たちが新築の耐震基準にこだわったり、リノベーションの案件で耐震補強提案する理由がそこにあります。自然災害で人の命を失わない建物を作るのにこだわりを持つのは、震災をきっかけに創業した事業所が守るべき1丁目1番地だと考えています。

防災とボランティアの日

現在、私たちは、神戸市と災害協定を結び、もしものことが起こった際に、いち早く応急仮設住宅を供給できるようにと体制を整えています。熊本地震や球磨川の大洪水の際には、実際に被災地に起き、仮設住宅の施工に社員たちを派遣してきました。もしもの時に素早く応急措置を講じられるようにできれば万全の体制を整えたいと思っています。自社の職人育成を会社の基本としている理由の1つがそこにもあります。現場で実際にものづくりができる職人がいなくて、地域に存在する建築会社としての存在意義が保てないと思うのです。そして、それは神戸に限ったことではなく、全国津々浦々、生活インフラを守る基盤として職人を育てる機関=事業所が必要です。私が現在ライフワークとして取り組んでいる全国の職人育成のサポートもまた、震災の記憶に突き動かされていると言えるかもしれません。1.17 =防災とボランティアの日、私にとっては1年に1度原点を振り返る、そんな日になっています。

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職人を育成できる環境を整えるべく、職人の社会的地位向上のための研修事業を行っています。

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