幸福の最大化よりも不幸の最小化。デイヴィッド・ベネターに共感する日本の未来
デイヴィッド・ベネターとは「世界で最も悲観的な哲学者」であり、反出生主義なる、人は生まれて来ない方が良いし、子供をつくること自体が悪である。との理論を展開した南アフリカ出身の哲学者。なんて悲観的な偏った人なんだ。と感じましたが、よく考えたら、今の日本人はこの悲観的すぎる考え方に随分と寄ってしまっているのではないか?と思いました。
世界は苦しみに満ちている
ちなみに、仏教の世界では人が生まれ、生きていく事自体が苦(ドゥッカ)に満ちているのが大前提になっています。この世はは四苦八苦するもので、根本的なドゥッカを生・老・病・死の四苦とし、それに足して、
愛別離苦(親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ)
怨憎会苦( 怨み憎んでいる者に会う苦しみ)
求不得苦(求める物が思うように得られない苦しみ)
五蘊取蘊(五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ)
以上の4つの苦を合わせて八苦と呼んでいます。
人生が苦であるということは、仏陀の人生観の根本であり、これこそ人間の生存自身のもつ必然的姿とされています。
釈迦が説いたとされる四苦八苦の語源となった苦諦は以下の通り。
人は生まれてきた時点で苦しみを背負っており、仏教ではそれを修行を通して滅して、涅槃にたどり着くべしと説いている訳ですが、ベネターはもう少し簡単な論理で人の苦しみについて分析しています。
快苦の非対称性から人の存在意義を考える
デイヴィッド・ベネターは、善と悪(例えば快と苦痛)の価値は非対称の関係にあると主張していて、シンプルに「苦痛の存在は悪い。」「快の存在は善い。」を定理として定めて論理を組み立てています。
そこから、苦痛の不在は、それを享受する者が存在しない場合でも善い。快の不在は、この不在が剥奪にあたる者が存在しない限り悪くない。と、とにかく苦痛の存在を消し去るべき、快(人の幸せ)は奪われる存在が無ければ必要ない、とのロジックを導いています。苦痛の不在は善で、快の不在は悪くないから、倫理的判断としては人間は生まれてくるべきではないし、生殖を控える選択に分があるというのがその結論です。
人類は生きるべきか、死ぬべきか
ベクターの主張は論理的にはおかしくないかもですが、人間として生を受けて生きている私たちからすると、やはり簡単には受け入れ難い結論です。
人間が支配するようになってこの地球上の野生動物の割合は6%にまで激減し、人と家畜ばかりが住む星になってしまいました。また、人の営みが気候変動まで引き起こして環境を破壊しているとするならば、地球にとっての最適化は人類滅亡なのかも知れません。
しかし、野生動植物を絶滅させてはならないのと同じ文脈で人間も種の一つとして存続しても良いはずです。そして、人間が地球上に誕生した生物の中で唯一無二の進化を遂げてきた、そのこと自体も大きな視点で見れば地球の営みの一つと言えるのかも知れません。だからこそ、私たちは美しい地球を守って次世代に繋ぎたいとの想いを誰しもが持っているのだと思います。
人類は存続すべきだし、地球と共生すべきだと思うのです。
種の存続へのアンチテーゼ
生物は種の継続を本能で守ろうとします。それ自体が生きる意味と言っても過言でないほど、それに対して命を使います。蜻蛉は生を受けてから水中で一年ほど過ごし、成虫になって川面に飛び出しますが、成虫になってからの命はほんの数時間。種を残す行為を終えたら直ぐにその命を終えてしまいます。古代から人間がSEXに強い執着を持ち続けているのも同じ本能だと思いますが、今の日本は少し様相が変わりました。若者が性に対して淡白になったと言われて久しいですが、他の原因も複雑に絡まって日本人は子供を作らなくなり、人口を減らし続けています。
最新の厚生労働省の発表では衝撃的な統計が発表されました。まさしく、滅亡への道を直走っています。そして、女性の平均年齢が50歳を超えた今、出生率が跳ね上がらない前提に立てば、今後100年、人口減少は加速し続けると推測されます。明らかに自然の摂理とは整合しないのが今の日本です。
デイヴィッド・ベネターに共感する若者達
地球は有限である。との視点に立てば、際限なく人間が増えられるはずはありません。世界では人口増加が続いており、このままでは地球の資源を食い尽くしてしまうとも言われています。どこか、最適な値で人口増加は止まるべきとの論調はありますし、アメリカの財団が人口を減らす為の工作を秘密裏に行っているとの噂が実しやかに流れたりもしています。それでも、世界で最も歴史の長い国と言われる、独自の伝統と文化を育んできた日本が滅亡してしまうのはやはり残念過ぎるし、なんとか維持したいと思ってしまいます。
今の日本の人口減少の原因は完全に出生率の低下による少子化です。最近になって国も異次元の少子化対策を行うと発表しましたが、根本的な問題解決とは程遠い、ピントが外れた対処のように思えてなりません。
結果的に見て今の子供を作れる日本の若者はデイヴィッド・ベネターの思想に寄ってしまっている訳で、子供を作らない方が良いとの判断を下しています。その源を覆すアプローチをするしか日本人の種の保存はないと思うのです。
日本人安楽死計画
かなり以前から危惧されていた通り、日本の人口は減少を続けています。これほど少子化が問題視されているにもかかわらず、今の日本の30代以下の若者の死因の一位は自死であり、せっかく宿した命を絶ってしまう中絶件数は出生数の減少と共に減っているにも関わらず最新の統計でも12万件を超えています。そして、中絶の理由の第一位は子供を産んでも育てられないとの経済的理由です。そして、もちろん出生率が下がっているのは計画的に子供を作らない選択を行った結果に他なりません。
この世は生きるに値しない世界だと判断している若者は、世界で最も悲観的な哲学者、ベネターと同じ思考と言っても過言ではないと私は思っています。ちなみに、私も一人娘しかいないのは、若い時まだ大工の職人として働いており、未来に不安を抱えていたから二人目の子を作ることを考えられず、目の前の生活をなんとかすることに必死だったからです。私もベネターの理論を受け入れていたと言えるのかも知れません。今考えれば、これらは社会システムに誘導されており、日本人安楽死計画が進んでいるのか?と訝ってしまわずにはいられません。
令和デモクラシー
あまりに絶望的なことばかり書いてしまいましたが、このまま致し方ないと流れに身を任せてしまうのは、あまりにも無責任だと思います。
しかし、次の世代を担う若者達には、産めよ増やせよ!というつもりもありませんし、一億人以上の人口を維持しなければ経済が立ち行かないというつもりもありません。日本の国土に合わせた最適な人口で誰もがIkigaiや幸せを感じられる世の中になればそれでいいと私は思っています。ただ、自分の命よりも大切なものを授かり、責任を全うして育てるのは人としての最大の幸せでもあると思っており、その最高の体験を躊躇なく誰もが味われるようになるべきだと思っています。
そのために私たちは、生きるに値する社会の実現に向けて、確実に歩みを進めなければなりません。まずは身の回りから、そして地域に、事業の分野で、業界で、人の為を想い、人の苦しみや悲しみに無関心にならないように出来ることを少しずつ、事業で行える社会課題解決を進め、生きるに値する世界の実現を目指すしかないと思っています。それが私の考える民主化への取り組みです。
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民主活動家として教育、建築、地域コミュニティーの事業を行っています。
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