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夢も目的もなく高校進学する君たちに

私は神戸で建築と地域コミュニティーの事業を営む株式会社四方継という会社を経営しています。元大工で今も自社の大工を育成し自社社員による工事を特徴として住宅や店舗、オフィスなどの工事を行なっています。今日は、これから中学校を卒業してから進路を考えようととしている若者にささやかなメッセージを送ります。

なんとなくの高校進学

中学生の頃、私は勉強よりも仲間と遊び回ることの方がずっと大事で、学校にはあまり真面目に通いませんでした。中学校を卒業する際、一応、高校に進学しましたが、なんの目的もなく、やりたいこともない状態で高校生活を始めました。高校生になって授業に出ていても全く意味を感じることが出来なくて、先生にこの学校を卒業した先は先輩方はみんなどうしているのか?と尋ねました。すると、そこそこ成績が良い生徒は3流大学に進学し、ほとんどは就職するとのことでした。しかも、就職先に私がやりたいと思うような仕事は全くありませんでした。結果、1年生でソッコー退学して社会人に飛び出すことになりました。そんな私から、当時の私と同じような環境の若者にメッセージを送ります。人生の岐路であり、大きな選択となる進路を考える参考になれば幸いです。

自由を求めて

社会に出た私がまず目指したのは、自由になることでした。誰にも縛られず、働きたい時に働いて、遊びたい時に遊んで、行きたいところに行く。そんな暮らしを目指しました。そこで壁にぶち当たったのが、お金です。
まず初めに就職したのは学生時代にアルバイトしていたラーメン屋の店長としてでした。家賃を払い、飯を食うだけの金を稼ぐだけで、朝の10時から夜中の11時まで働かねばならず、休みは定休日の1日だけ、月の稼ぎは14万円では、全く自由のかけらもなく、太陽の光を浴びることさえない生活。貧乏人には自由なんかないのだと気付かされました。こんなことを続けていても自由になんかならないし、そんなことのために学校を辞めたわけじゃないと、半年ほどでその仕事を辞めました。

金の要らない暮らし

次に、金がなくてもそれなりに自由に働ける方法を考え、家賃を払わず、飯を食わせてくれる、そして行きたいと思える先を考えました。思いついたのが信州白馬のスキー場でペンションやレストランを運営していた会社です。
信州では大自然に囲まれて、スキーやスノボの練習も出来たし、ペンションやレストラン、レンタルスキーのスタッフなど、お客さんと向き合って働けるのはとても楽しく、充実した日々を過ごすことが出来ました。しかし、その当時はインターネットも無く、完全な田舎暮らしは映画を見に行くことさえ出来ず、世間とは全く関係のない、若者にはあまりにも刺激が少ない環境で、シーズンオフの閑散期には人も来ない山間の村の暮らしに飽き飽きしてしまいました。何より、給料は安いどころか殆どもらえなかったので、ここにいると一生、オーナーに飼い殺しにされると気付きました。実際、一緒に働いていた40歳過ぎのオッサンをみて、こんな風にはなりたくないと強く思ったのです。

自由も金も誇りも持てない

その後、職を変えながらあちこちを転々とした挙句、飯も食えない、病院にもいけないホームレスと変わらないような生活にまで落ちて神戸に舞い戻ってきました。その時考えたのは、自由どころか、生きるだけでもとにかく金がいるということです。それから必死になって金を稼げる働き先を探し回りました。中卒でなんのスキルも持っていない私がそこそこ稼げる先は、霊安所に運ばれてくる死体を拭く作業員や、その当時紛争が起こっていた中近東で武器弾薬をトラックで運ぶ運転手など、人が避ける仕事ばかりでした。その時になって、初めて学歴社会からドロップアウトすると、自由も金も誇りも持てない生き方になってしまうのかと気付かされたのです。最終的に、当時、普通の人には無理、化け物しか続かないと言われていた佐川急便の夜勤アルバイトから始めて20歳の時にセールスドライバーになりました。そこでは年収が1000万円くらい稼げるようになりましたが、朝の5時から夜中の1時まで飯も食う暇がないほど駆けずり回って、睡眠時間さえも確保できない暮らしになりました。自由の欠片も手に入れることは出来ませんでした。

未来が無い

佐川急便でやっとそれなりに稼げるようになり、好きなものが買えて、好きなものを食べられる少しの豊かさを感じられる暮らしになりましたが、先輩たちを見ていると、次々に身体を壊したり、車両事故を起こして退職されており、肉体を擦り減らしながら常にギリギリの働き方を続けるのは長続きする訳がない、自分には未来はないのだと気がつきました。なんとか未来を切り開き、自由と金を手にしたいと考えて、思いついたのが大工の修行に入って技術を身につけることでした。最後の転職は25歳の時です。
それから、5年後に一人前の大工として独立起業することになり、その3年後には会社を作り、今では4つの法人の代表を務めています。代表なので、自分で自分の働き方を決めることが出来る様になったのですが、実は、4つも会社を運営していると休みなどありません。残念ながら、今も好きな時に好きな場所に行って気ままに暮らす自由は手に入れられていません。ただ、やりたいことを仕事にしているのと、誇りだけは持てる様にはなっています。

やる気と優しさと誠実さ

今年56歳になる私には、既に10年以上先までやるべき仕事が決まっており、70歳くらいのヨボヨボの爺さんになるまで結局、自由を手にすることは無さそうです。私の人生では17歳の時の夢は果たすことは出来ませんでした。
しかし、その代わりと言ってはなんですが、子供の頃の夢の代わりに32歳で起業した際に掲げた志は実現へと少しずつですが進んでいます。自分自身がずっと将来に対して不安を抱えてきたこともあり、私と同じように学校に馴染みきれず、学歴社会からドロップアウトした若者が未来に明るい希望を持って働ける環境を作りたい、自分が救ってもらった建築の業界でそれを叶えることこそ、私がこの世に生きてきた存在意義だと思って今も日々走り回っています。ものづくりの世界は、学校の成績なんかどうでもいい、やる気と人の気持ちを考える優しさ、そして自分との約束を守れる誠実さだけあれば、誰もが大きな活躍が出来ます。そんな場をを広く業界全体、日本全国に広めるのが中卒の私の本心からの願いです。

必ず社会で活躍できる高校

職人の社会的地位を向上させたい。そんな想いから、必ず稼げる職人になれる研修機関を立ち上げたのが6年前、コロナが蔓延し始めてからの近年は、職人が安心して未来に向かって働ける環境づくりをすべく、全国の建築事業者向けの職人育成のキャリアプラン構築と評価制度の運用を啓蒙する活動をひっそりと行なってきました。そして、その集大成としてこの4月から職人になりたい若者を必ず稼げる職人に育て上げる高校を立ち上げます。3年間で職業人として認められ、応援されるような人間力を身につける研修と、給与をもらいながら仕事を教えてもらうOJTで技術を身につけ、しかも高校卒業資格が取得できる通信制のWスクールの高校です。
この高校に入学すると、未来創造企業という良い会社の認定を受けた事業所に就職することが出来る上に、職人としての働き方だけではなく、そのさきの現場を離れても施工管理や設計、営業などの建築のプロフェッショナルとして働ける道を用意しています。

未来への扉

木工教室やプラモデル作りでも面白いのに、現場での建築実務が面白くない訳がありません。また、精魂込めたモノづくりを行えば必ず依頼主から感謝されます。今の職人は5年程の経験を積むとそこそこ一人前の仕事が出来る技術を身につける事が出来ます。私達が新しく作ったマイスター高等学院に入学すると、好きで得意でしっかり稼げる、そして多くの人から求められ、感謝される生きがいのある働き方が出来る道が開けます。
私が若かりし頃、ずっと抱えて来た未来への不安や生きがいの無さを払拭して、面白く楽しく、誇りが持てる人生を送る入り口がモノづくりの世界にはあります。圧倒的な職人不足に喘ぐ建設・建築業界では未来を担う金の卵を誰もが求めています。試しにインターンシップやアルバイトで働いてみることも出来るので一度、足を踏み入れてみては如何でしょうか?きっと、これまで想像ができなかった思いがけない未来が開けると思います。

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マイスター高等学院の情報等、集約しています。

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