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覚えとけよお前ら、絶対〇〇にしたるからな!と言える在り方

先週末に京都で開催された地域フォーラムでは閉塞感に満ちた日本がもう一度光を見出せる、未来への可能性を感じる事ができる、そんな風に思える素晴らしい機会を頂けました。登壇頂いたアドバイザーの方々はもちろんのこと、企画から運営を取り仕切られた経営実践研究会の京都メンバーの皆様には厚く感謝致します。
地域フォーラムin京都の模様はこちら、

胸に突き刺さった棘

この振り返りのnoteには書ききれなかったのですが、フォーラムに参加してからずっと胸の奥に刺さったままというか、考え込んでしまっている言葉があります。それは、フォーラムの最後の挨拶に立たれた藤岡会長が放たれた一言で、不覚にも胸から熱いものが込み上げてきてしまいました。
次世代を担う若者や、子供たちに対して、生きるに値する世界を残したい。閉塞感に満ちて、生きにくさを感じる人が増え続け、若者の死因の一位が自殺で、年間12万件もの生まれてくる前の命が絶たれている、生きるに値しないと判断されてしまっている今の日本の社会。
膨大で深く厳しいその社会課題の解決を目指して無関心とニヒリズムを排し、国内企業の97%を占める地域企業の経営者が事業で経済的価値と社会的価値を両立出来るビジネスモデルを研究、実践する活動を共にしようと呼びかける私達、経営実践研究会のメンバーに対して、熱心な活動を揶揄する者、一度は同じ方向を向きながら袂を分つ者、出来るわけ無いバカじゃないかと馬鹿にする者、砂をかけて立ち去る者と、残念ながら理解を示して貰えない人もいます。そんな人達に対して、誰よりも命を削って、本気で取り組んでいる藤岡会長が投げかけたメッセージです。

争いも分断も排除するあり方

「私達から離れて行った人、バカにしたり悪口を言う人もいる、そんな人達に言っておきたい。お前ら覚えとけ、俺たちがお前らの事も絶対に幸せにしたるからな!」との魂を絞った様な声で断言をされたその言葉は、自分が常日頃、表には出さないが内心に隠し持っている器の小ささをズバリ指摘された、そんな気分になりました。
経営実践研究会では強欲資本主義、新自由主義の行き過ぎた富の集中とそれを形作っている社会システムに対して明確にアンチテーゼを突きつけています。世界を席巻した金融(強欲)資本主義に取って代わるのは共感資本社会であるべきとの指針を持っています。共感資本主義と言わないのは、主義同士は争いや分断を生み出すからで、だから共感資本社会という呼び方を使っています。その争いや分断を排する根本的なパラダイムを藤岡会長の言葉に見出す事が出来ました。

戦うのは器が小さい所以

私は長年、自社の職人育成に取り組みながら、職人の地位向上を志に掲げて、職人を道具のように扱い、使えなくなったらポイ捨てする建築業界の悪しき慣習と戦い続けてきました。
職人の地位向上は職人自身が自助の精神を持ち、自ら守られる人材になる努力を積み重ねる必要があります。決められた作業をただ単にこなす作業員から、目的を明確に理解して、本質的な価値創造を行うのを強く意識する人材になれば、必ず現場で圧倒的な信頼を勝ち取ることが出来て、それは事業所に経済的価値をもたらします。職人の地位向上とは、そんな職人への意識喚起と共に、その成長を見守り、育てる機関に事業所が変わるべきで、職人を正規雇用して育てることで、現場で高い評価を得て、未来の売り上げに繋げるビジネスモデルの構築に取り組まないか?と全国行脚を繰り返し、職人育成の重要性を訴え続けてきました。
一般社団法人職人起業塾を立ち上げ、自社で実証を繰り返してきた職人育成のプログラムとキャリアパス、賃金テーブル、評価制度等の人事制度のスキームを公開、提供して、業界では殆ど行われていない職人の正規雇用を推進する活動を7年間に渡って継続してきました。しかし、表面上は理解を示しても一切行動に移さない経営者が圧倒的多数を占めました。結局、目先の損得勘定や日々こなさなければならないタスクに追われて、緊急性の低い職人の雇用、育成に踏み込まれたのは極々限られた数の経営者だけでした。

ずるがしこい経営が業界を破綻させる

建設業界の現場就業者の数は激減を続けています。大工に限ると、30年前に80万人いたのが2025年には20万人を切ると言われており、このままの減少率が続けば2030年に大工はほぼ絶滅してしまいます。元請け会社は工事を終えて初めて売上計上となります。いくら受注を重ねたところで、職人がおらず着工出来ない、着工しても工事の完了が遅延するのを繰り返すと売り上げを作る事ができなくなり、事業は破綻してしまいます。
雑誌Wedgeで特集されて、現在、職人不足は建設・建築業界内の問題ではなく、日本の生活インフラの維持ができない、安全保障上の問題になりつつあります。実際、街の建築現場を覗いてみると活躍している職人達は60代前後の人が多く、あと数年で誰もいなくなるのは机上の計算ではなくリアリティーを持って誰もが感じている事です。それでも、まだ、費用の掛かる職人の正規雇用をする事なく、外注の職人を探し回り、引き抜きに躍起になっている元請け建設業が多く存在する、むしろそんな業者がスタンダードの業界にはほとほと愛想が尽きます。と言うよりも、私はずっと怒ってました。

全てを赦すのは可能なのか?

しかし、冒頭に紹介した藤岡会長の言葉を聞いて、私の元々の志は、ポンコツだった自分をまともな暮らしを送れる様にしてくれた建設・建築業界への恩返しであり、世の職人達が未来に希望と誇りを持って働ける、生き甲斐のある業界へと変革する事だったのを思い出しました。
そもそも、自分たちだけが良ければ良いのではないし、自分の意見が聞き入れられないからと言って拗ねたり、怒ったり、諦めるする訳にはいかない。私たちの職人育成の取り組みを嘲笑った人たちも含めて、業界全体を全体を良くして行かなければならないのが、私のミッションだったと気付かされました。
自分たちにアンチテーゼを投げかける人に対して、その人たちを理解し、許容し、受け入れるだけでなく、その人達も含めて幸せにする。世の中の不条理を解きほぐし、より良い世界への変容を目指すなら、それくらいの懐の深さと度量の大きさが確かに必要ではないか、と思った次第です。
15年以上前のことですが、大工の単価カットを繰り返す住宅メーカーの下請けを辞める際に、「職人が足らなくなってどんなに困っても絶対に助けたらんからな!」と捨て台詞をはいたのを思い出し、器の小さな自分が恥ずかしくなりました。
罪を憎んで人を憎まず。と言いますが、全ての人を赦すことは、人として最上のあり方なのかもしれません。難しいと言う言葉で片付けられないほど困難を極めますが、人としての在り方を極める先にある崇高な概念、目指すべき目標として胸に刻んでおこうと思った次第です。

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