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常識を書き換えろ。1÷2=0.5では無い。

波乱含みの幕開けとなった令和6年。私が代表を務める、株式会社四方継の年度初めの初出勤日のミーティングでは、そんな時代の大転換に対して我々が向き合う姿勢について、冒頭に話しました。

本格的なVUCA化

これからはこれまでの延長線にはない。全く先の見えない不安定で、複雑曖昧な世界に私たちは足を踏み入れている。これまでの常識は、一旦全て捨て去るつもりで見直し、新たな世界に適合する価値観や基準、指針を持つべきだと伝えました。
感染症によるパンデミックで、グローバル経済はズタズタになり、世界中が鎖国状態になりました。格差と分断が鮮明になり、世界中で戦争が勃発。アメリカドルが石油取引の基軸通貨から外れるなど、世界の枠組みが大きく変わりました。自然災害はその頻度と規模を加速度的に増しています。今ある日常はいつ失ってしまうのかさえわからない。完全にVUCA化が本格化した感が否めません。

1 ÷ 2 =?の問い

そんな激動の新年の幕開けに、私がスタッフの皆に伝えたのは1 ÷ 2 =?の問いです。
私から振られたスタッフは当たり前のように0.5とか2分の1と答えます。確かに私たちは子供の頃から学校でそのように教わりました。何の違和感もなくて当然と言えば当然ではありますが、今までの常識を疑うべき今の時代、にこそ、この問いの真の答えが重要だと思うのです。
1個のりんご2つに割ると半分のリンゴが2個になります。一膳の割り箸を割ると、二本の箸になります。1 ÷ 2=の本当の答えは0.5 +0.5にならなければ実存する現実と乖離が生まれてしまいます。半分の0.5 は消え去ってしまうわけでは無いのです。

モラルハザードの種

これまでの私たちの思考は、無意識のうちにどこかで半分の0.5が消えちゃっても気にならない、違和感を覚えないようになってしまっています。それは、経済発展のためなら、自然環境に負荷をかけても致し方ない。大きな目的や大義名分の為なら、人の犠牲もやむを得ない。その思考の行き着いた先が、利益のためなら少々、法を犯しても良いだろうとのモラルハザードです。昨今の日本では、中古車販売大手や大手自動車メーカー、大物芸能人、政治家まで次々とモラルをかなぐり捨て、目先の利益を追い求めた結果、次々と破綻に追い込まれています。これは、割り切り、切り捨ての思考が導き出した悪習ではないかと思うのです。

愛と思いやりと人の道

第4次産業革命と言われた情報化社会からさらに圧倒的にテクノロジーは進化を遂げて、生成AIを誰もが使えるようになった今の時代、嘘、ごまかし、本質でないものは、全てつまびらかにされ、白日の下にさらされます。
信用と信頼を失っては、どんな事業も成り立たないばかりか人間社会において、生きていくことさえ困難になります。この時代の大転換期にこそ、人の道を真っ当に守りきる。愛と思いやりを持って人に接する。自然や、地球に感謝し、畏敬の念を持って相対する。そんな真摯な姿勢が重要になるし、そしてそれは人類が本来あるべき姿だと思うのです。

魂を磨け

私達、株式会社四方継が事業において実現を目指す存在価値とは「四方よしの世界の実現」です。それは、自分たちだけが良ければ良い。との考えを捨て去り、働く仲間も、職人さんも、取引先も顧客も、地域も自然環境も全てが良くなるようなそんな事業行いたいとの思いを込めています。そんな仕事が出来たら、本当に幸せを感じる事が出来ると思うのです。
とはいえども、発注者と受注者は利益相反の関係性だと思われてきたこれまでの商取引の価値観や感覚では、それは非常に難しく、不可能と言っても過言ではありません。
難しいけど、本質から目を背けることなく、残りの半分を切り捨てる、思考を捨てて一を全うする覚悟と決意こそこれからの激動の時代に必要なると思うのです。
割り切りは魂を弱くする。人生は魂を磨く修行の場と心得て、誰も切り捨てない事業に取り組んでいきたい。そんなふうに思うのです。

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社会性と経済性の両立を目指して民が主体の社会の実現にチャレンジしています。

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