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新しい時代への扉を開く2つのキーワード。

このところ、私がこれまで20年間に渡り熱心に学び続け、実践してきたマーケティング理論を手放して、新たな価値観、世界観を基軸にした循環型経済に向かうビジネスモデルへ移行する必要性と、その意味と意義について書き連ねてきました。「強欲」と揶揄される新自由主義的なアメリカ型資本主義が解決困難ないくつもの問題を露呈させ、行き詰まりと閉塞感を感じさせる中、トップ数%の富裕層が覇権を握るヒエラルキー型社会、組織構造が持続可能なモデルでは無い事を多くの人が感じ、気づいていると思います。そんな時代の潮目を強く感じさせられる中、私達は世界の大きな変化への適応を迫られています。私は迫り来る新たな時代に続く扉を開く鍵が大きく2つあると思っていて、今日はその部分について整理してみたいと思います。

意図無き経済

一つ目の大きな流れを象徴するキーワードは「意図」だと思っています。人は意味や意義の感じられないことを行い続けると虚しさを感じ、それを強制されると発狂すると言われますが、これまでの日本では、本質的な価値=意味を見失うことに気づかない社会だったのではないかと思っています。私達の日本は国土が焦土と化した敗戦、アメリカによる植民地支配から復興し高度成長時代を経て世界のトップレベルの経済大国へと奇跡の成長を遂げました。その後、バブルを経験、すっかりカネが価値観の中心になり、バブルが弾けた後もグローバリゼーションの波に押し流されるようにアメリカ型の競争原理に基づいた資本主義経済の中で成長拡大の幻想に囚われ続けてきました。そこには「なんのために?」との問いへの解である「意図」ではなく、欲望を満たすカネを稼ぐこと自体が主眼とされて、エコノミックアニマルと揶揄された時代の流れを残したまま、日本人の価値観が損得勘定と自己満足と言い換えられる自己実現に染まり切ってきたように思います。しかし、本来、カネを稼ぐこと自体は目的になり得ず、単なる手段でしかありません。そして、太古の昔から享楽主義は人類を滅ぼすと言われてきましたが、人生の意図、働くことの 意味、事業所やコミュニティーの存在意義を考えることなく、利益を追求し、うまいものを食い、楽しい時間を過ごし、欲望を満たすのを目指す人ばかりの社会は悲惨です。現在の日本、また世界で圧倒的な格差が広がり、閉塞感が漂う大きな原因は弱肉強食、強いものが市場と富を寡占する資本主義経済の行く末への危惧に他ならないと思うのです。

意図あるところに経済は起こる

しかし、本当の事を多くの人は知っています。意味も意義もないことに人生を費やすのは虚しいことであり、たった一回きりの人生をできることなら意味のある時間にしたいし、するべきだと思っていると思うのです。本当はカネを稼ぎ、飯を食らい、酒を飲み、セックスをして快楽を貪るだけの人生ではなく、何かしら人生に意味や意義を見出し、自分自身の存在意義を感じたいと思っていると思うのです。本当は誰しも意図のある充実した人生を送りたいと思っているはずですが、これまでの資本主義経済の中では競争に勝つこと、敗者となることを避けて生存欲求を満たすことの優先度が高すぎて、人生の意味や意義、働くことの意図について向き合い、深く考える時間さえなかったのが現実ではないでしょうか。学校教育でもそれはおざなりにされてきましたし、昭和世代真っ只中の私自身も恥ずかしながら若い時は金が稼げればそれでいいと思っていました。しかし、その価値観の延長線上には決して幸せな社会がないことに流石に多くの人が気づき始めたのではないかと思っています。
アメリカ発の世界を良くするアイデアの共有を目的としたプレゼンテーションイベントTEDで人気を博したサイモン・シネックがゴールデンサークル理論として、大きな成果を手にした人や企業の思考の中心には“WHY”との問いがあり、明確に世界に貢献する善き意図を持っていたと非常に分かりやすく説かれてから随分と経ちましたが、バングラディッシュのグラミン銀行皮切りにヨーロッパで起こったソーシャルバンクの隆盛は人は善き意図を持つ事業に協力したいと考え、お金を出すのが現実社会のスタンダードになりつつあるのを示唆しています。古くは、上杉鷹山公が冨民の理念のもとに、愛と信頼を回復させることで経済が立て直せることを実証した原理原則への回帰が世界を巻き込んだムーブメントになりつつあると感じています。


依存体質からの脱却

もう一つの重要な概念は循環型社会と共に語られる「自立」です。循環とは相互依存が繰り返される状態を指しますが、そこには個々が自立する強さを持っていることが大前提であり、一方的な依存では循環にはなりえません。子供が成長して大人になり、社会に出るようになると一般的に自立するようになると思われておりますが、自立するにはそれなりの力を蓄える必要があります。今の社会では自立と言う概念があまりにも希薄になり、依存する構造や思考が強くなりすぎているのではないかと思うのです。個人は企業に依存し、企業は国や社会に依存し、日本という国自体もアメリカに依存して自主独立を守れていない状況は社会全体をゆがめているように感じます。戦争放棄と専守防衛の理念は大変素晴らしいですが、具体的に領土侵犯のリスクが高まる中、自力で自国を守る力を持つのは国として最低限の安全保障であり、いつまでもアメリカの核の傘の下に庇護されているのは国民の自立心を損なうではないかと思っています。日本国民を称して平和ボケしているとよく言われますが、それはヒエラルキー型社会構造の容認であり、安全保障の面だけではなく、ビジネスにおいても、働き方においても本質に正面から向き合わず、何かに依存する体質を作り出しているのではないかと思うのです。

意図と自立が時代を切り開く

弱肉強食の寡占化が進む資本主義社会の次に来るのは共感型資本主義であり持続可能な自立循環型社会だと予言されて久しいですが、その両方に共通して必要なのは個として自立することができる強さです。人は誰しも素晴らしい才能を持っており、それを開花させることによってお互いが助け合い、シナジー効果を発揮して相互依存から循環へと社会も組織も構造を変えることができると思っています。まず必要なのは、個人が自分の人生に向き合い、昭和時代の遺物である「今、金、自分」の価値観を拭い去って存在意義を考え意図を持って行動することで、そのコミットメントさえできればおのずと才能は花開くと思うのです。少し小難しい今子になりましたが、単純に、事業所や組織、社会においても良き意図を持ち、主体的に考えて行動できる人が集まり、共感しあい、助け合い、
シナジー効果を発揮すれば組織も社会も今まで作り出せなかった大きな価値を生み出すようになるのは誰にでも容易に想像できると思います。「意図」と「自立」の2つのキーワードを意識して、そこにいる人の潜在的な才能を開花させる人材開発の思考と取り組みこそが新しい時代を良きものにする扉を開く鍵になると思うのです。

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建築現場実務者の潜在的な才能を引き出す研修やってます。

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