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事上蘑練

本末転倒と言うことわざの由来は、学びには本学と末学があり、人のあり方、真理に基づいた考え方を学ぶ本学を置き去りにして、やり方、手段を学ぶ末学ばかりを行使することを指しているとのこと。私が20年近く学び、実践し続けてきた原理原則系マーケティング(外部環境に左右されない独自の市場の構築)の極意は「あり方に始まり、あり方に終わる。」でした。結局、長年掛けて学び取ったのは事業は本学(在り方)を収めることで経済性も持続可能性も兼ね備えられるようになるとの結論です。私が所属している「本業で社会課題の解決を目指す」経営者の集まり、経営実践研究会でアドバイザーの小山邦彦先生からその本学を学ぶ本學塾なる勉強会が催され、この度、陽明学を学び直す機会を頂きました。自分自身への備忘録を兼ねて、全6回の講義での学びと気づきをここにまとめておきたいと思います。

伝習録 読み下し文

事上磨練

第4回目となる今回のテーマは「事上磨練」でした。この概念は伝習録の中に何度も繰り返し出てくる心の修養、修身について常日頃からのあり様、在り方についての王陽明の弟子たちへの言及です。一番初めに出てくるのが上に画像をアップした陸澄が子供の危篤に心をかき乱され平常心を失ってしまうエピソードです。事上とは事が起こる(日常に無い心配事や不幸、災難などに遭遇した)時こそが修行、修身の絶好の機会との意味で、磨練とは人欲を去る修練、自分に嘘をつかない、慎独(お天道様はみていると独りでつ慎む)、身体に訊く、心を鎮めることで私欲や私情を手放し、明鏡の域に達していく自己研鑽を指しています。辛く悲しく厳しい出来事が起こったときに人はその壁を乗り越えて成長するとはよく耳にする事ですが、普段から事上こそ己を磨く機会だと心がけ、厳しい出来事を待つというのはなかなか容易いことではありません。まさに人生修行の心構えを持って生きろと言うことでしょうか。

身体が良知そのもの

今回、この件の勉強会に参加して最も印象的な学びは「身体に訊く」との概念でした。前提として私が認識していなかったのは、「自分の体は良知である」との考え方で、人間誰しもが生まれ持っている良知(良き心)は心の中や思考だけではなく、身体と言う物体そのものも天理(自然の摂理)とつながっており、良知そのものである。とのこと。その定義はなるほどと深く納得するとともに、新しいものの見方を知ったような感覚になりました。確かに、今まで意識した事はありませんでしたが、感情が動く時、汗をかいたり、頭に血が昇ったり、暑くなったり、背筋が凍ったりと何かしらの身体の反応があるのは間違いなく、それら全ては自然の摂理の1つだと言われれば確かに納得するしかありません。そこに意識を持ってみる、自分自身の身体に起こる反応を客観視することで自分を俯瞰する目を持つ、そして私情を手放せるスイッチにすることが出来るとの実践の指南は非常に斬新でまさに目から鱗でした。

王守仁・『晩笑堂竹荘畫傳』より


及ばざるは過ぎたるより勝る

磨練を繰り返し、手放せるようになるべき私情を七情と言い、喜・怒・哀・懼・愛・憎・欲の人がつい心に抱いてしまう7つの私欲に満ちた感情です。しかし、王陽明はこれらの情を持つこと自体、冒頭の文にあるように陸澄が子供の病を心配する親心等はごく自然な感情で、それを否定することはありません。ただ、「過ぎたるは及ばざるが如し」と示した論語よりももっと厳しく過ぎたるを悪しき所業と強く諫めています。徳川家康公遺訓にもその概念が色濃く反映されているとのことでしたが、とにかく刺激を受けた出来事に対して、大仰に、過度に反応することに対して強く戒めの言葉を遺されています。

徳川家康公遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

明鏡の域への遠すぎる長い道

王陽明の実践哲学が目指すべき先は、天理と繋がり万物の自然の摂理に則った本来在るべき生き方、人生を全うすることだと私は解釈しています。その実現のために深く思索を繰り返し、そこで見出された概念を実践を通して真理に近づくべく追求し続けた人だと思っています。「私」を振り払うのもまた私情、無の境地にたどり着くことに固執しては絶対に無にたどり着くことがなく、その難しさ故に静坐や瞑想で心を鎮める、感情から良知に気づく、身体の声に耳を傾ける、あらゆるものに感謝する等、様々なアプローチを弟子たちへの言葉として遺されています。感情も自然のもの、起こる事象に良いも悪いも無い、そのままを素直にみる、受け入れる。人としての器を大きくする修養と実践を繰り返してこそ、明鏡(=一点の曇りもない鏡のように心が澄んだ状態)の域にたどり着けるのだと道を示してくれています。まずは感情に紐付いた身体の声を聞くところから始めてみたいと思います。原理原則系のマーケティングを学ばれた方は「状態管理」との概念をとても大事にされますが、その最強のスキームは王陽明に発しているのかもと感じさせられました。今回も素晴らしい学びをいただけたことに心から感謝します。

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人間としての基礎的な力を身につける実践研修を行っています。


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