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今年最大のテーマ、Ikugaiについて因数分解やってみた。

実は私、現在の本業は高等学校の学校長ってなっていますが、中卒です。
若かりし頃に建築士の資格を取得すべく受験勉強を始めたら、因数分解が出来ず、アタックなる中学生向けの参考書を買ってきて学び直した覚えがあります。その時になって勉強は出来るチャンスがあるときに何でもやっておくべきだと痛感しました。最近、柄にもなく?校長先生として中学校に授業に行く機会が多くあり、その度に生徒達にそんな苦い経験談を話しています。
2023年もそろそろ押し迫ってきたということで、今回は今年注力した取り組みの中でも中心的かつ最大のテーマIkigaiの創造について振り返り、小割り(因数分解)にして来年への具体的なアクションにつなげたいと思います。


学校の勉強なんか意味がない?んな訳が無い

社会に出て、二十歳をゆうに過ぎた後に因数分解が分かる様になった経験は、単純に解らないことが理解できる様になって嬉しかったのと同時に、「この数学的な思考って実社会でも使えるんだなー。」と改めて思った覚えがあります。学校の勉強なんか、社会に出てからはなんの役にも立たないと思いこんでいた私にとってはちょっとしたパラダイムシフトでした。
因数分解を学び直して、事実を積み重ねて結論を導き出したり、行動を選択したりする際に、課題を構成するファクター(因子)ごとに分解して共通項で引いたり割ったりしてまず初めに手を付ける対象となるインサイトを導き出すのは非常に数学的思考に近いと今でも考えています。
論理的な思考の積み重ねを行い、解を導き出すのは数学を学ぶことでかなり身につきます。そんなことを中学生の時に気付いていれば、もっと私の人生は変わっていたんだろうなー、なんて思いました。何のために数学を学ぶ必要があるのか?との根源的な話を先生が教えてくれたら良かったのに、と。ま、実際は教えてもらっていたのかもしれないし、私が聞く耳を持っていなかったのが問題だったのかもしれませんが、、

因数分解の実業での応用

昨日、来年からスタートする予定の無料学習塾開講のプロジェクトで運営のサポートを頂いている大吉財団の忘年会に出席しました。そこに無料学習塾のロールモデルとしてリスペクトしており、またアドバイスを頂いている「つばめ学習塾」を主宰されている庄司さんも来られていました。挨拶をした際に、私達がマイスター高等学院を立ち上げ、教育事業に足を踏み入れる際にビジョンとして掲げた「Ikigaiを持てる社会の実現」について、因数分解してみので、今度聞いてください。と話されていました。同じ価値観、同じ方向性を持った面白い方々と関わりを持てるのは本当に嬉しいし、ありがたいことです。
久しぶりに「因数分解」という言葉を耳にして、なるほど、自分たちが目指すビジョンを人に伝えるのに非常に効果的な考え方だと感じました。また、Ikigaiの社会実装は私にとって今年最大のテーマだったこともあり、今年の取り組みの総決算、学びと気づきと実践の総括も含めて、自分でもやってみよう、むしろ、もっと早くにやってみるべきだったと思った次第です。

因数分解
数学における因数分解(いんすうぶんかい、: factorization, factoring, decomposition; 分解因子分解)は、与えられた数学的対象を同種の(しかし普通はより小さいあるいはより平易な)別の対象—それは因数(factor; 因子、乗法因子、乗因子)と呼ばれる—のとして書き表すことを言う。たとえば、15 という数は 3 × 5 という因数の積に分解され、多項式 x2 − 4 は (x − 2)(x + 2) という因数の積に分解される。
因子への分解は、除法が自由にできる体系(可除環など)ではほとんどの場合に意味を為さない。例えば実数複素数の体系において任意の x は y が零でない限り何であっても xy × (1/y) のように分解できることは明らかである(つまり、どの元もいくらでも分解できて、積としての表示を無数に持つ)。しかし例えば、有理数有理関数の成す体系ならば、分子と分母を別々に考えることによって意味のある因数分解を定めることができる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

日本人の誰もが持っているIkigaiの暗黙知

私達が目指すIkigaiを持てる社会の実現とは、4つのファクターが重なった最大公約の状態を指しています。それは「愛すること」「得意なこと」「稼げること」「世の中に求められていること」の全てが得られる働き方、そのような労働環境が常態化して、誰もが生きることの価値を感じられる社会であるべきだとの想いです。
やりたいことが出来て、人様に喜ばれて、自分の特性が生かせる。それが仕事となって豊かな暮らしを享受できればこれ以上言うことはない。誰しもがそうだと頷くと思いますが、このIkigaiを持って働く概念は世界中の常識ではありません。
キリスト教圏では元々労働は罪深い人間が行う苦役との定義があり、喜びは休息日にあるとの思想が今も根強く残っています。それに対して日本人は古代から、あらゆるものに神が宿る八万の神のアミニズム信仰に加えて、神仏習合によって全てに仏性が宿るとの考え方、共生を重視する文化が根強く浸透しています。働くとは「はたをらくにする」こと。それが近江商人で有名な商売観、三方よしとなって社会実装された経緯からIkigaiの概念も誰しもが暗黙知として持っているのです。共生の思想が根底にあるからこそ、100年、200年と続く長寿企業が圧倒的に日本に集中して存在するのは分かりやすいデータだと思います。だからこそ、日本でIkigaiの概念を伝えて、これを実現したいと伝えれば、全てと言っても過言でないくらい、多くの人が共感を持って理解してくれるのだと考えています。

バリの書店にもIkigaiの書籍が平積み

Ikigaiへの羨望と実装されない現実

ちなみに、今年訪れたインドネシアでは書店に「Ikigai」とタイトルされた書籍が平積みになっていたし、フィリピンではモールにある若者むけのアパレルショップで「Ikigai」と大きくプリントされたTシャツが販売されていました。ヨーロッパやアメリカでも教育関係者にはIkigaiという単語がSushiやTsunamiと同じように通じると言います。
2030年のゴールに向けて世界中の国が批准したSDGsで示された、誰一人取り残さない持続可能な循環型社会を目指すべきとの概念は非常に日本的な共生の思想であり、それを世界スタンダードに広げたのもIkigaiの概念が認知されるのに大きく影響したのだと思います。
しかし、実際に日本の社会で働く人々がIkigaiを感じながら過ごせているかと言うと非常に大きな疑問を持たざるを得ません。その一つの指標が若者の自死が世界トップの件数になっていること。そして、若者の仕事に対する意識調査で示される結果です。未来に対して絶望と閉塞感を持っている若者が多くなる傾向が強くなっており、Ikigaiの4つのファクターを同時に叶えられる職場の存在自体を認知していない様に感じます。これは単に若者の意識の問題ではなく、彼ら彼女達を受け入れる企業、その集合体としての社会に大きな課題があることを示しています。

内閣府:特集 就労等に関する若者の意識

Ikigaiの因数分解

誰もがその価値と必要性を認めるにもかかわらず、Ikigaiの社会実装が進んでいない現実を変えるためには、構成するファクターに対して教育と社会のそれぞれの課題を因数分解して一つずつ確実に潰していくしかないのだと思います。

愛すること(好きなこと)

愛するとは何か?との問いの答えは論理というよりは感情であり、人それぞれ。非常に難しいですが、働き方を求める若者と職場を提供する企業側とで「美しい」「楽しい」「面白い」等に対する価値観を揃えることが不可欠だと思います。ここに大きな齟齬があれば好きな事が仕事になることは絶対にありません。これは組織を構成する上での優先順位が、経営者が掲げ、押し付けてしまいがちな経営理念の実現や、目的が明確になっていない売り上げや収益の目標ではなく、組織にいる人がやりたい事をできる環境づくりを優先にすべきとの組織改革の必要性を意味しています。昭和、平成のモデルはこの観点が抜け落ちてきたからこそ、若者は絶望してしまったのではないかと思います。

得意なこと(強みを持つこと)

得意というと職業能力のように受け取ってしまいがちですが、職能は経験値に大きく左右されると考えれば、若者が社会に出る時点で社会で通用するスキルを既に身につけるのは今の学校教育では非常に難しく、実際はスキルではなく、「出来ると思う」とのセルフイメージを持つ事ではないかと思います。出来るだけ早い段階で学生時代に社会と関わりを持ち、小さな成功体験を積み重ねる事で若者は社会に通用する強みを自覚する事ができるし、企業側は今後、キャリア教育と呼ばれているその様な機会を数多く提供する事が必要だと考えます。

稼げること

豊かな暮らしの実現を指しており、一時的に儲けられることではなく、将来への不安を払拭できて、将来設計を可能にするキャリアを見出せる事だと思います。大企業に勤めたから、公務員になったから安泰だ。と言う事ではなく、大きく変化する時代に翻弄される事なく、職場を変わったとしても稼げる力を身につけるとは、実は職業的なスキルも必要ではありますが、それだけではなく、人として信頼に値するか?との人間力の方が重要です。今だけ、金だけ、自分だけ良ければいいとの考え方では、どこに行っても何をやっても活躍する場を与えられないことを若者には深く理解して貰いたいものです。また、企業側も短期的な収益に囚われることなく、社会的な存在意義を認められる、この会社が無くなっては困るのだ。と言われるような社会性と経済性を兼ね備えた持続性の高いビジネスモデルにシフト、それを確立すべきです。

世の中から求められること

稼げることと近しい文脈になりますが、地域や社会の課題を解決し、多くの人に喜ばれ、感謝されるには、まず、どの様な課題があるのかを広く、深く知ることから始まると思います。苦しみや悲しみ、生きづらさを抱えている人の顔が見えて、他人事とは思えないレベルまで知れば、人は必ず行動に一歩を踏み込みます。これは、学生も企業側にも同じことが言えますが、経済合理性の外にある置き去りにされている課題に対して自ら興味を持ち、見にいく姿勢をまず持つ必要があります。孟子が「惻隠の情」に示した通り、誰もが利他の心を持っているし、それが叶った時に達成感や幸福感を感じると思うのです。

惻隠の心
人の不幸を見てかわいそうだと思う、人間として当然の感情。
[由来] 「孟子―公こう孫そん丑ちゅう・上」の一節から。「もし、小さな赤ん坊井戸に落っこちそうになっているのを見たら、だれだって『惻隠の心』を持つはずだ。それは、その子の両親に取り入りたいと考えたからとか、世間の評判を気にするからとかではない。この『惻隠の心』こそが、『仁』の出発点なのだ」と述べています。これは、「孟子」が唱える性善説の大きな論拠となっています。

出典 故事成語を知る辞典

生きるに値する世界と世界平和の実現

このようにIkigaiの概念を因子ごとに分けて詳しく見てみると、若者に対する教育の場をもっと社会との関わりを持たせて、出来るだけ早い段階で成功体験を持ってもらうことがいかに重要なのかが分かります。昨今、小学校でもプロジェクト型の授業を行う学校や探求教室などの塾が全国に増えてきているのは大きな進歩であり、今までのテストの点数重視、学歴偏重の教育からの脱皮は子供達にとっても、社会にとっても大きな価値があるのを再確認させられます。
また、地域企業がCSV経営(社会課題解決型モデル)へのシフトを進めるための研究と実践を行うコミュニティーである経営実践研究会の会員数が加速度を増しながら増加しているのも非常に好ましい傾向だと感じています。明らかに人がIkigaiを持って生きられる、生きるに値する社会への変容がムーブメントとなりつつあると感じています。
教育改革だけでもだめ、企業の革新だけでもだめ。両方が同時に、そして確実に変化変容をを進めなければ世界中の規範となるIkigaiを持って生きられる社会の実現は叶うことはありません。しかし、もしもそれが出来れば、人を中心にした本質的な民主主義が機能し、誰もが取り残されない平和な社会が実現する可能性があると思うのです。
既得権益を握り、保身を最優先にする、強欲資本主義のロジックにどっぷり浸かった政治家や大手企業、資産家には決して実現出来ない、本当の民主主義が世界に現れるとしたら、日本の97%を占める地域企業がIkigaiの社会実装をビジョンに掲げて教育業界に踏み込んで、子供達に明るい未来を体感させるしかないと思うのです。それが暴力に満ち溢れた今の世界を変える第一歩だと私は信じていますし、なんとしてでも実現したいと思うのです。
来年も引き続き、このテーマの追求を続けます。

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志教育を中心にしたカリキュラムを進めつつ、現場で働いて技能習得と共に給与も得て、尚且つ高校卒業の資格を取得できるマイスター高等学院では、「Ikigaiを持てる社会の実現」をビジョンに掲げ、全ての事業所が教育機関になって生きるに値する社会への変容を担う存在になるのをサポートしています。お気軽にお問い合わせください。




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