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適材適所と課題解決とその源泉

私は神戸を拠点にした自社設計、自社施工に拘った大工工務店と、台湾での店舗専門の建築会社、そして東北から鹿児島まで全国で展開している研修事業の3つの法人の代表を務めています。それに加えて3つの会社の社外顧問も受けており、合計6つの会社に所属しています。社外顧問として担っている役割は大まか現場改革担当で、ユーザーに対する価値提供の本質を担う現場での課題をつまびらかにしてその改善と改革のサポートをしています。そんな私が最近特に重要視しており、また難しさを感じているのが「適材適所」と言う概念です。業務内容に適した人にそのポストを与えて活躍してもらうのは非常に重要ですが、改善点として挙げられていると言う事は同時に難しさも含んでいると言うことです。

最重要かつ最大のリソース

何かしら事業を行うには経営資源が必要です。その代表格として人、モノ、カネとよく言われますが、中小零細企業には潤沢な資金があるわけでも、最先端の設備を整えていたりするわけではありません。自ずと中心的なリソースは人となるわけですが、一般的には小さな会社に優秀な人がたくさん集まってているわけでもないのが現実です。しかし、時代が大きな転換期を迎え、変化のスピードが加速度的に速くなっている現在、たいしたリソースがないからといって諦め立ち止まっていては、「現状維持は緩やかな破滅への道」と言われる通り、あっという間に時代の波に飲み込まれてしまいます。カヌーで激流を転覆せずに降ろうと思うなら川の流れよりも速くパドルを漕げ、と言われますが時代の変化のスピードを凌駕するまではいかないとしても、最低限、適応する程度の改善、改革を続けなければ時代の荒波に飲み込まれてしまいます。それは無いものねだりをするのではなく、今現在持っているリソースを最大限に活用するしかなくて、人的資産の活用は不可欠だと思うのです。

タレンティズム(才能の主義)が開く潜在能力

中小零細企業には大して優秀な人材がいない。と失礼なことを書きましたが、実のところ私はそんな風には思っていなくて、少しのきっかけを与えて、そこにいる人にまだ顕在化していない潜在的な能力を発揮させることができれば誰しもが大きな可能性(才能)を持っていると思っているし、強く信じています。これは自分自身がどうしようも無い悪ガキで学歴社会からドロップアウトしていたにも関わらず、人並みの真っ当な暮らしを営める様になり、学もカネもコネも無いまま、20年以上も経営者を続けてきた経験則に基づいています。私が職人を中心とした現場実務者を集めて研修を行っているのも、営業マンを雇わずに大工と女性設計者だけの工務店を運営しているのもこの誰もがまだ日の目を見ていない豊かな才能を持っているとのタレンティズム(才能主義)の考え方が元になっています。人が普段使っている能力は本来の力の3%程度だと言われますが、人材を適材適所に配置して、本来持っている能力を引き出せばどんな人でも大きなリソースになると考えて長年、人材開発の事業に注力し続けています。

意図あるところに価値あり

人が誰しも潜在的に持っている大きな能力と言うのはそんなに特異なものではありません。例えば、困った人を見ると助けてあげたくなる優しさや、誰かに貢献することで自分の喜びとできる利他の心、自分を信じて仕事を任せてくれる人の期待に応えたいと言う責任感など、老若男女、洋の東西を問わず人間誰しもが生まれ持っている善き心自体です。そんな誰にでも当たり前に持っているものが厳しい競争社会を勝ち残る経営資源になるのかよ、と思われそうですが、3人の煉瓦職人の寓話にあるように、金のためにとか、決められたことをしているだけとか、楽ができればいいとかの自分のことにばかりに気持ちを向けて働いている人よりも、世の中のためや人のためになる良き意図を持って働いている人に仕事を頼みたいと思うのは古来からの人の営みにおいて綿々と続く原理原則であり、非常に大きな経営資源として認められてきたものです。その良き意図を上っ面の言葉や文章だけではなく、実際の現場で態度や行動で示せるようになるだけで、人の心を動かします。その意図と意思を明確に持つだけで人は誰しも大きな付加価値を生み出すと考えています。そんな誰しもが持つ潜在的な能力を表面化させ、成果につなげるシステムが適材適所という概念だと思うのです。

個性を殺さず癖を生かす

そもそも、適材適所と言う言葉は大工の世界で使われていた言葉です。最後の宮大工と言われる法隆寺の西岡棟梁の「個性を殺さず癖を生かす。人も木も、育て方、生かし方は同じだ。」との言葉はつとに有名ですが、個性が強く、癖も強い職人の世界には非常に親和性の高い言葉です。材料の使い方に限らず、人の配置や役割を適正化することで大きな効果性を生み出すのは昔から広く知られており、適材適所は一般的に使われる4文字熟語として長い時を経て現代に受け継がれています。現場改革や組織改革など、課題解決のための取り組みを行うにあたって、そこに携わる人の特性を知り、癖を見抜き、活躍の場を与えることができたなら大きな力になるのは想像に難くありません。ただ、大きな問題なのは今も昔も目利きは非常に難しく、おいそれと誰にでもできるものではないと言うことです。当然、適材不適所や不適材適所に陥ることが少なからずあり、それは必ず全体最適に悪い影響を及ぼすことになってしまいます。

【適材適所】
伝統的な日本家屋や寺社などの建築現場での木材の使い分けがその語源である。すなわち“適材適所”の材とは木材の材を意味する。

豊富な森林に囲まれた日本では、針葉樹・広葉樹など実にさまざまな木材が建築に使われてきた歴史がある。建物を支える柱や梁などにも、実に適切で理にかなった使い分けがなされてきた。

例えば土台には腐りにくく耐久性の高い檜(ヒノキ)や栗(クリ)を、内装の一部になる柱には木目の美しくやさしい肌合いの杉(スギ)を、また屋根や二階以上の重量を支える梁には強靭な松(マツ)をといった具合である。
出典:ウィキペディア

愛が一番

企業は人なり、と言われるように人材こそが企業にとって最も重要なリソースであるのは間違いありません。ならば、適材適所を叶えるために必要な目利きの力はどのようにしたら養えるか?との事業を行う上で非常に重要な、根幹を担うとも言える問いが立ちます。世に言われる、モノづくり企業の事業経営に欠かすことのできないタスクはプロダクト(作る)、マーケティング(売る)マネジメント(回す)の3つですが、実はそれらの効果性を担う大半がこの目利きの力にあるのではないかと私は思っています。適材適所を叶えて事業の課題を解決するマネジメント(回す)力を身に付ける方法論は諸説ありますが、表面化していない潜在的な人の力を見いだすのがその肝であるとすれば、答えは対話にしかないのではないかと考えています。そして、その対話も表面的なやりとりではなく、言葉の奥にある感情や意図を汲み取り、本人がまだ自覚していない潜在的なニーズに気づく位のディープなコミニケーションが必要なのだと思うのです。私が主宰する職人起業塾のカリキュラムに組み込まれている横山桂子先生のコミニケーション講座では、相手の立場に立って物事を考えることが全ての根幹にあるとレクチャーされます。この本質に気づき実践を繰り返したものだけが本当の意味でのコミニケーション能力を身に付け、適材適所に人を割り振り、全体最適を叶えるマネジメント能力を身に付けることができるのではないかと思うのです。陳腐な言い回しになってしまいますが、結局、事業にとって最も重要で大きな効果を生み出すリソースは思いやりや愛情と言うことになるのかも知れません。

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愛の大切さを伝える研修やってます。






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