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力を抜く力の見つけ方

なぜか、物事ってあまり考えていない時や頑張っていない時の方がうまくいっている気がする。

最近、同じようなプレゼンを2回したのだけど、出来合いの資料を元に適当に話した時は思った以上に褒められて、逆にしっかりコンテンツを考えて資料も準備して話した時は何となく空回った気がしている。

仕事が決まる時もそう。これをやりたい!というプロジェクトがある時に、なぜやりたいかを考えて、何を話すか決めて、しっかりアピールしてもなかなか決まらないのに、忙しすぎて準備時間3分、駄目元で気持ちに任せて適当に話したらなぜかあっさり決まったりする。

仕事そのものも。懸命に考えて出したアウトプットに対して毎回毎回厳しいコメントをしてくるマネジャーに、準備のしようもない、現場でミーティングをしながらのポイント整理ではなぜか異様に褒められたこともある。

もうとにかく不器用なのだ。こんなことが起こる度、もう考えるのも頑張ることも辞めたら良いじゃないか、と突っ込みたくなる。「もっと適当に生きたら良いのに」「そんなに肩肘張らなくても」等等、等々。同僚や友人からの言葉はまさにその通りだと思う。

力を抜く。リラックスする。自己嫌悪と恐怖とプレッシャーから自分を解放する。ただそれだけのことなのに、これを自分で作り出すのは、私にとって、逆立ちで縄跳びしながら相対性理論を説明するくらい難しい。

ただ、そのタイミングは、意外なところで突然降ってきたりするのだ。

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大学院の入試。限られた回数の中で求められるスコアを出さなければいけない試験で、私は長いこと苦しんでいた。100点満点のテストに例えると、必要なスコアは75点。デビュー戦の30点から休日返上で勉強すること7カ月。7月に65点を取った私は、確かな手応えを感じていた・・・つもりだった。

しかし、夏休みの集中特訓後に出たスコアはまさかのデビュー戦スコアへの逆戻り。3か月後、勉強のアプローチを変え、満を持して受けた試験も再び悪夢の30点。目の前の画面に無機質に表示された数値を見て、何かの間違いで私の受験IDに30点がこびりついているんじゃないかとすら思った。

絶望感と虚しさしかなかった。この約1年間、遊びもほとんど我慢してやってきた勉強は、ただの1点も押し上げる力を持たなかったのか。それでも出願を間近に控え、私は出願後のスコア再提出、という起死回生の一手に望みをかけることにした。

しかし結局、その後は他の提出物とインタビューと通常業務のピークに追われ、試験勉強にかけられた時間はたったの2週間。うち平日に使えた時間は、昼休みと仕事終わりのせいぜい1-2時間だったと思う。

できる限りのことはした。もうスコアなんて追うつもりはない。受け止めるだけ。ただ清々しく、気持ちよくこの受験生活を締め括るため、できるだけ最後の1問まで解き切ろう。それだけを考えて最後の試験を受けた。

過去の試験と唯一違ったのは、開始直前に自分の心拍音が聞こえたこと。

ああ、私は毎回、この音にも気づかないくらい、追い込まれていたんだ。

そう気づいて、思わず笑った。


結果は95点。合否発表まで残り2週間を切ったタイミングだったが、この再提出を受け付けてもらえたらしく、私は無事に志望校への合格を手にした。

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結局、本当にありのままの力が出せるのは、もうその力を欲していない、という境地に至った時なんじゃないか、と思う。不器用な私は、求めて、求めて、求め続けてそれでもうまくいかない時に、漸く手放すことができるらしい。暫くはまあ、それでも良いか、と思いながら、今日も生きている。

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