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心が折れそうな日に採用面接ディスカッションに参加して涙が止まらなかった話

もう、ぼろぼろだった。

2か月弱のプロジェクト。今頑張れば後で楽になる、そう自分に言い聞かせてGWも休日もほとんど仕事が頭から離れることなしに何かを追いかけ続けた日々だった。期待に応えなければというプレッシャーと考えられない自分、助けを求めても叫びが空を舞う中で、私は空回りを続け、何も考えられなくなり、動悸と耳鳴りが付きまとい続けた。
漸くプロジェクトを終えた時には、もう、隣で携帯のアラームが鳴り続けても気づかず、漸く目覚めても暫く体を起こせず、活動開始しても突然極端な眠りで活動できなくなるような状態に陥っていた。

そんな中、舞い降りてきた採用面接のトレーニング。もう嫌で嫌で仕方がない。というよりも、こんな状況の私が、他の人の将来を左右する仕事なんてするべきではない、そう考え、トレーニング中に事情を話してとにかく断ろうと思っていた。

簡単なブリーフィングの後、実際の面接の過程を見学し、そして最後に私は、Decision meetingの場にいた。


そこで私が目にしたのは、複数の面接で全く異なる評価を下された候補者についての熱い議論だった。
ある面接官が圧倒的に低いスコアと共に不採用を提案した候補者に対し、別の面接官が圧倒的に高いスコアと共に採用を強く薦める。こんなにも、人の評価というのは分かれるものなのか。或いは、これほどに、この候補者のパフォーマンスは異なる面接で異なっていたのか。

その場にいない私は真実を想像することしかできない。兎にも角にも、甲乙それぞれに極端な事実を述べ合い、面接官以外のメンバーも巻き込んだ議論の末、結局この候補者には一度コーチング・フィードバックをした上で、再度面接に臨んでもらうこととなった。

一連のミーティングがお開きになった後、私は突然熱いものがこみ上げ、この数週間溜め込んでいた何かが堰を切ったように流れ出していた。


この議論が、他人事と思えなかった。
数週間、思うように動けなかった自分。絶望と負のスパイラルの中で、私はただ、ネガティブな感情に支配されていた。

しかし、さっき見た議論の終盤、私が見たものは、希望、そして願いだった。この候補者は一度、大失敗したのかもしれない。それでも、違う側面を見せた機会があったなら、もう一度、挑戦して欲しい。最低点を付けた面接官ですら、そんな思いを滲ませていた。最高点を付けた面接官は、忙しい合間を縫ってその候補者にコーチングすると宣言した。

すべての議論が、自分に向けられたもののように思えた。ぼろぼろだった自分に、失望した人もあるかもしれない。しかしそれでも彼らはまだどこかで私の再起を願っているのかもしれない。そして、これまで私を評価してくれた他の人たち ー支えてくれた上司や先輩方、散々悩みを聞いてアドバイスをくれた同期たち、助けを求めてくれる後輩たちー 彼らの存在を思い出した。希望がある限り、まだ諦めたくない、まだ走りたいと、強く願った。

どうにかできるのか、どうにもならないのか、それはまだ、私にもわからない。それでも、私はまだ、この仕事に向き合うことができる。そう思えた瞬間だった。

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