不器用は宝だよ
「ねえ、貧乏さん誰だっけー?」
医事課(大学病院にある医療事務室)のドアを開けたら聞こえてきた耳障りな言葉。
貧乏さん?なんでそんなこと言ってるんだろう?
「すいません、南病棟です。書類取りに来ました」
お待ちくださーい。
その横で他の医事課の人達が話してる。
「ねえ、あの病棟の貧乏さん誰だっけ、貧乏さん」
まだ聞こえてくる。
あの病棟が、私が働いている病棟のことだった。
書類を待っている間、嫌でも聞こえてくる会話。
貧乏さんと呼ばれている患者さんは、
いつもニコニコ優しく笑う柳さんという女性のことだった。
何度か入退院を繰り返し、最近緊急入院になった。
個室にいて個室代を払えずに減免(費用の負担を減らすこと)をかける人のことを貧乏さんと呼んでいるらしい。
緊急入院になった時、個室になることがある。病態の変化から個室になることだってある。
貧乏さん、貧乏さんと連呼しているあの医事課の人は、1泊4万円の部屋代を払えるのだろうか。
自分の身内がそう呼ばれたら嫌じゃないのか。悲しい気持ちにならないのだろうか。
休憩室でチョコレートを食べていたら同期のひーちゃんと、師長が入ってきた。
「どうしたの。そんなに一気にお菓子食べてるの珍しいじゃない」
そうやって師長に言われる。
医事課でのことがムシャクシャして戻ってきた私は師長達にその話をした。
「何も言わないで戻ってきたの?いつもなら喧嘩しそうじゃん」
ひーちゃんが言う。
「だって病棟で患者さん待ってるし。感情に感情で返すとろくなことにならないじゃん」
「あんなに子供だったのに、大人になったわね〜」
師長が笑いながら話す。
話を聞いてもらった私は、ムシャクシャした気持ちがなくなった訳じゃないけれど、少し心が軽くなった。
そしてその貧乏さんと呼ばれた柳さんが、どれだけ辛くても前を向いて頑張っていることを私たちは知っている。
だから余計悔しかったのかもしれない。
子犬のような後輩のサチとの夜勤が一緒だった日。
サチは柳さんの担当だった。
その日サチはミスを重ねた。
内服薬の投与忘れ、点滴の急速投与。
いわゆるインシデントといわれるものを起こしたサチに私は、
一度休憩室で休んでおいで。気持ち切り替えよ。
そうやって伝えた。
目から涙が溢れそうになっているけれど、
私は気がつかないふりをする。
患者さんにはどんな時だって安心して安全に過ごして欲しいから。
サチの涙は知られない方がいい。
なんとか終わった夜勤明け。
サチが師長にインシデントの報告をして事故報告書を書いたあと休憩室に入ってきた。
右手にピンクの封筒を持っている。
柳さんがくれたらしい。
サチが今度は目からボロボロ涙を流しながらその手紙を見せてくれた。
『私が今日無事に朝を迎えることがができたのは、あなたをはじめ看護師さんたちのおかげです。
きっと夜沢山の悔しいことがあったかもしれませんが、私は穏やかに過ごせました。
あなたより長く生きている私から伝えたいことがあります。
不器用というのは何よりの宝です。
一見器用に何でもない顔をして仕事をこなす人が
影でどれだけ努力を重ね頑張っているか知っていますか?
しょうこさんは、その良い例です。
彼女が新人の頃の話を知ってる?
同期の誰よりも技術が下手で悔しくて毎日練習したと前に教えてくれました。
しょうこさんや他の先輩たちがどれだけいろんな患者さんのことを考えているか知っていますか?
結局自分次第で無駄なことなんて一つもありません。
人は努力するから、得るものも多いのです。
私はこれからもあなたにお世話になります。
自分自身が目指す看護師像に近づいていたら嬉しいです。
皆一緒、同一なんだよ。
不器用は宝だよ。
柳より』
私もっと頑張ります。仕事終わってるのに待っててくれてありがとうございました。
泣きじゃくるサチに今日暑いねーと言いながら太陽を浴びながら一緒に帰った。
柳さんの状態が急変したのは2週間後。
亡くなった日に担当したのはサチだった。
柳さんがサチを選んだのかな。不謹慎かもしれないけど時々そんなことが起こる。
亡くなったあと、必要な書類をとりに医事課に行った。
ドアを開けて、あの日貧乏さんと言った人が対応してくれた。
柳さんの書類をとりにきました。
と伝えた次の瞬間
「ああ、あの貧乏さんですね」
私の頭の中は柳さんの顔が浮かぶ
車椅子でトイレ介助したあとに
「私ね、益々あなたのファンになっちゃった。トイレに行く度にシーツを綺麗にしてくれて。苦しいことは一回で終わるように全部考えてくれて。有難う」
そんな当たり前のことを有難うって柳さんは言ってくれた。なんでこんな女に柳さんは貧乏さんって言われなくちゃいけないんだろう。
「あなた何なんですか。貧乏さん貧乏さんって。じゃああなたは緊急で入院してきて一泊4万円だよって言われた部屋代を何日入院するかも分からないのにすぐに払えるんですか」
「そのくらいで辞めなさい」
聞き慣れた声がした。
後ろを向いたら師長が立っていた。
もう病棟に戻りなさい。
そう言われて私は病棟に戻った。
悔しくて仕方ない気持ちはそのあと全部、
同期のひーちゃんが聞いてくれた。
なんで同じ病院で働く人があんなこと言うんだろう。
それから数日後に医事課のあの人が病棟に来ていた。なんでいるんだろうと思ったら、私に気がついて近づいてくる。
そして
「あの時はすみませんでした」
思いもよらない言葉に私は戸惑う。
「師長さんに言われました。一度私たちが働いている病棟を見にきてくださいって。
それからもう一度貧乏さんって言うか判断してくださいって。
私の仕事は人と関わる時は大概クレームの処理で、診療の点数がその患者さんをあらわしているだけ。紙一枚でその人を判断していました。
本当にすみませんでした」
休憩室のドアを開けたら師長がコーヒーを飲んでいる。
私が話しかける前に師長が口を開く。
「どんな患者さんだってスタッフだって、バカにされたら私は怒るわよ。当たり前でしょ。大事なんだから。役職者はスタッフを守るためにいるのよ。
でも。
感情的になって、人を攻撃することが正しいとは思わないからね。
正しい意見でも、それを振りかざしたらダメ。
相変わらずそのへんはまだ不器用よね」
サチが大泣きした夜勤の次の勤務のとき。
柳さんの身体を拭いているときに手紙を喜んでいたと伝えた。
「だってすごく暗い顔してるから心配になっちゃって。あ、前に話してくれた新人のときに泣いた話し教えちゃったわよ。
皆最初からなんでも出来るわけないわよねぇ。
先輩になったって、分からないことたくさんあるもんね」
何度も看護師を辞めたいと思ったし、今でもそれは時折やってくる。
でも。
それでも続けてこられたのは、こうやって柳さんたち患者さんがいろんなことを教えてくれて応援してくれるからだ。
あの日サチが見せてくれた柳さんの手紙の言葉が浮かぶ
「不器用は宝だよ」
𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄 𓐄
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