0217 おいしいを通り越すと、腹より胸がいっぱいになるらしい


今日は久々に寝不足で、頭が回ってない感じのするような朝でした。
起きた瞬間に後悔した、睡眠時間は削るものじゃないな…わたしは5時間寝てもこれだから、ショートスリーパーの人ってすごい笑

午前中は先輩の代打で、大学生の試験の試験監督をやってきた。試験監督ってこれまでやったことなかったので、これまでの自分が受けた試験を思い出しながら、ごっこ遊びみたいに楽しんでしまった。

20分・20分・30分の試験時間の間ひまだなあと思っていたけど、なんとなく机間巡視をしたりぼんやりいい天気の空を見たり、とめどなく考え事できていい時間だった(何を考えていたのかはほとんど覚えてないけど)。

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終わったー!疲れたー!ときゃぴきゃぴする学生たちを見ながら懐かしい気持ちになった。このまま帰るのはもったいない気がしてしまい、せっかく遠出しているのでおいしいごはんを食べて帰ることにした。
周辺を調べてこれだ!とピンときたお店がとっても温かくて優しくて丁寧で、素敵な時間でした。おいしかったなあ、ごちそうさまでした。



わたしは嫌いなものもあまりなく、そもそも食べることが好きなので、おいしいと感じるものは世の中にたくさんあるけれど、ちょくちょくこういう「しあわせー!」って思えるごはんに出会う。
たべもののおいしさはもちろんなんだけど、うーんなんというか、たぶん食事自体がまるごといいなあと感じられたときなんだろう。
落ち着く空間だなあとか、きれいな器だなあとか、手間がかかった丁寧な料理とか、作った人や運んだ人の気遣いや想いが伝わってきたりとか。

こういう食事をしているときわたしは、おいしいを通り越して、なんだか胸がいっぱいになって涙腺が温かくなるかんじがする。は~しあわせだった、午後も頑張ろう、とすごく満たされた気持ちになるから、食事の力はすごいなあ。

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料理人のマスターが最後必ず「ありがとうございましたー!」ってひょいと顔を出してくれるお店だった、こちらこそ!!と心から思う。

大きいレストランとかだと特に、料理を作った人はお客さんの「おいしい」や「ごちそうさま」が見えないよなあとふと気になった。

それを考えたらそもそも材料の野菜を作った人や牛を育てた人にも、ほんとうは感動と感謝を伝えたいのに、その人たちは自分たちの大事な作品が最後どうなっているのか見えないんだよね。
料理人に限らず、誰かが喜んでいる顔や感謝の言葉がやりがいだと思う人は多いはずなのに、なんだかもったいない。いい方法ないかしら


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