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わたしはわたしのために、『シン・ニホン』の当事者でありたい


「普通の社会人2年目」と自分で自分にラベルを貼っていたわたしが、『シン・二ホン』と出会って、何を感じて、何を考えたのか。

改めて、『シン・ニホン』を読んだわたしの思いを残したいと思います。


わたしはいつも、「少し・不在」な気がしていた


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ー私の「少し・不在」は最近いよいよ深刻だ。ー
辻村深月さん『凍りのくじら』


主人公は器用で頭が良くて、人や世界を達観して見てしまう女子高生。
彼女は藤子先生の創るSFの世界=「少し・不思議」からとって、周りの人それぞれの個性にふさわしい名を付ける「スコシ・ナントカ」という遊びをしているのですが、その中で自分のことを「少し・不在」と呼んでいたんです。

いつもどこか俯瞰的な彼女の考え方や葛藤に、わたしは、なんだかすごくわかるなあ、と思ってしまいました。

友達の悩み、部活のチームの目標、大学で学んだ教育学、仕事で関わるお客様、自分自身の会社、そして日本、さらには世界。

改善点や課題がたくさんあるのはよくわかっているはずだけど、
「今」をどこか一歩引いて見ていなかっただろうか?
どこかで逃げ道をつくっていたんじゃないか?
入り込めない自分がいたんじゃないか?
自分がやらなくても誰かが、いつかは、そう思っていなかったか?

それはきっと、「100%の自分」が失敗したり、拒絶されたりするのが怖いからです。
自分のできる範囲内での適度な距離感と余裕をもって、周囲と仲良く円満に関係を築いて、なんでもそつなく上手にこなせる自分でいたかったんです。
一方で、「これでいいのかな」と思いながら、「100%の自分」を探している自分も、心のどこかにずっといました。


読んだ後はこの主人公に共感できてしまった自分に少しショックを受けてもいたのですが、「自分そのものだと思った」というレビューが想像以上にたくさんあって驚きました。


自分が特別冷たいわけではなく、誰もが心の中に、「少し・不在」な自分を感じながら生きているのかもしれない。
何かに全力を注ぐこととか何かを全力で愛することって、物語の中の人とか、特別な人のすることなんだろうな、ってなんとなく思っていました。


『シン・ニホン』が、わたしを当事者に変えた


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『シン・ニホン』との出会いは、そんなわたしを、突然「当事者」の側にぐいっと背中を押してくれました。
1冊の本からこんなに影響受けることある?と自分でも思うほど、それはもう素敵な本です。


この本では、すでに始まっているAI×データ時代の世界で、いかに日本がプレゼンスを高めて「残すに値する未来」を創るかについて、驚くほど多面的に、圧倒されてしまうほど具体的に述べられています。

日本が今AI×データの時代に乗り遅れてるからといってもう間に合わないわけではない。
むしろここからフェーズ2で巻き返すのが、歴史的に見た日本の勝ちパターン。
日本の未来に目を向けると、このままじゃだめだという悲観的な意見ばかり溢れていて暗くなりがちですが、この本は現実的でありながら前向きになれます。

何より、作者の安宅さんが、事実を述べるだけではなくこうするべきだという改善策まで、しっかり自身の立場を示すというスタンスを、専門分野に限らず1冊通して貫いていて本当にカッコいいんです!


「もうそろそろ、人に未来を聞くのはやめよう。
そしてどんな社会を僕らが作り、残すのか、考えて仕掛けていこう。
未来は目指し、創るものだ。」


これまでわたしは真面目に優等生に、日本の教育が目指す枠に収まって、普通に生きてきたと思っていました。
今の日本や教育を否定されることは自分のこれまでを否定されることのような気がして、たぶん無意識のうちに耳をふさいでいました。


でも、これまでの経験や努力を丸ごと武器に替えて、わたしだからこそ目指せる未来があるかもしれない。
やってみなくちゃ、何も始まらない。

これをやれという押し付けではなく、1人ひとりの行動を後押しするメッセージが溢れたこの本を読んでから、わたしは何か始めなきゃという焦りと、わたしにも何かを変えられるんだというワクワクが止まりませんでした。


足りない部分は、「のびしろ」だった


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『シン・ニホン』を手に取ったきっかけは、たまたま本屋さんで手に取ったから。今思えば本当に運命的な出会いでした。
ちょうど、仕事内容に関連するものから手を付けて、面白くなってビジネス書をどんどん読み始めた時期でした。

新しい発見・新しい考え方と出会って、わたしなりに考えたことを記録して、自分が広がっていく感じが楽しくて、わたしは本を読むのが好きです。

その一方で、読めば読むほど知識ばっかり頭でっかちになっていく自分も感じていました。
偉そうなことばかり俯瞰的に考えているけど、わたしにいったい何ができるの?人から教わった知識を並べて、そこにわたしはいるの?と。


でも、『シン・ニホン』のメッセージを受け取って気づきました。

「まだ知らない・わからないから動きようがない」「自分にとって直接かかわりがないから現実味がない」「いつか誰かがやってくれるだろう」
心のどこかでこんなふうに逃げている、今の自分のままではいたくない


『シン・ニホン』を読んで、まだまだほんの一部だろうけれど、日本の現状と勝ち筋を知ってしまった。ぎりぎりのところで希望が残された日本を、好きになってしまった。
そのとたん、わたしのこれまでの言い訳は通用しなくなりました。


だったら、いまから行動したらいい。
この本では、足りない部分を「のびしろ」と表現します。
わたしも、日本も、のびしろだらけです。


ひとりひとりに、できることがある。失敗したって、何もしないよりずっといい。
そうして少しずつでも多くの人が変われば、未来が変わる。
だってのびしろはこれから成長するためにあるんですもんね。

そう考えると、なんだかドキドキしませんか?



未来は、わたしたち自身のもの


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『シン・ニホン』を読んで当事者意識を持てたからと言って、いきなりわたしが何かデカイことを始められたわけではありません。日本への貢献に身を捧げよう!と愛国心溢れる若者になったわけでもありません。

未来を語ることに慣れていないわたしは、正直この感想文を書いている今も、照れくさいと思ってしまう自分、これを読んだ人にどう思われるだろうと考えてしまう臆病な自分と戦っています。


でも、それでいいんだと思います。
ほんの少しの変化でも、何か行動しようという気持ちを作れたことが、すごく大きな一歩だったと思うんです。

以前のわたしだったら、知らない人たちの中に飛び込むことも、これまで苦手だと思ってきた分野の試験も、自分の将来を具体的に真剣に考え始めることも、未来への希望をこんなふうに真面目に綴ることも、きっとしなかった。
こういう一歩から、わらしべ長者みたいに、少しずつ、でも確実に、未来に繋がっていく気がしています。


今のわたしのテーマは「突撃」です。

なにか特別な経験とか、ぶっとんだ思考とかがなくてもいい。大げさなことを言わなくてもいい。
自分の中でこれは無理だと決めずに、まずやってみたい。

そこで出会った誰かと思いを話してみれば、そこからさらに新しい希望が生まれるはずだと、『シン・ニホン』に教えてもらいました。

わたしは、これから先もきっとこの国で生きていく。
自分の大切な人のため、そして他でもない自分自身のために、
わたしは『シン・ニホン』の、そして自分の人生の当事者でいたい。
たしかに、存在していたい。

こんなふうに思わせてくれた『シン・二ホン』に、心から感謝と愛をこめて!
これからも一緒に、進んでいきたいです。



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