親の介護と自分のケアの記録 その6 2021年4月22日~26日


4月22日(木)

午前中は自宅で仕事をし、午後から実家。サトイモのにっころがし、タマネギ多めの豚の生姜焼き、ほうれん草のおひたしを持参。

実家に行く前に、ここがいいかなと目星をつけていたケアマネジャーの事業所をのぞいてみる。商店街からちょっと細道に入ったところにあり、まだ新しそう。

片づけアドバイザーさんに実家を見てもらう日を翌日に控え、少し片づけを進めておくつもりが、あまりはかどらず。


4月23日(金)
午前の家事代行仕事のあと、実家。

実家の最寄り駅で片づけアドバイザーのNさんと待ち合わせ、実家へ。

Nさんに部屋のレイアウトをどうしたいと思っているかと聞かれ、母のベッドをリビングに設置するのがいいかなと考えていると答える。

Nさんは父に、「娘さんはこう言ってますけど、お父さんは?」と振る。

父は少し考えて、「いや、それはだめだよ。なぜかっていうとね、あれ(母)は冷房が苦手なんだよ。わたしは暑がりで、夏場は寝るときに冷房が欠かせない。だから同じ場所で寝るとけんかになっちゃうんだよ」とやや早口で答える。

あ、そうだった。

リビング隣の和室に両親は布団を敷いて寝ていたが、冷房問題が勃発し、母は自分の部屋(元々は私の部屋で、私のベッドがそのままになっている)で寝ることになったと母から聞いたことがあった。すっかり忘れていたが、地味に大きな問題だ。「Nさん、さすが」と思う。

となると、やはり母は自分の部屋で寝ることになるのだろうか。それは可能なのか。

Nさんは父に「お父さんは家で何か不便に感じていることはありますか」とも聞いてくれた。父の答えは「いや、別にない。そりゃ汚いは汚いけど、不便は何も感じてない」。Nさんは笑っていた。

K関係のものがあふれ、ものすごいことになっている母の部屋をNさんに見てもらう。どん引きされるのではないかと少し緊張するが、そこは慣れているのだろう、淡々とした反応。「もっとすごいご祭壇があるのかと思ったら、意外に小さいね」とのこと。訪問介護に行っていたとき、利用者からいろんな宗教に勧誘されることは日常茶飯事だったよう。そのたびに適当なことを言ってうまくかわしてきたと軽妙に話してくれて、こちらの気もほぐれる。

母のものをどうするかの相談を、入院中の母とどうやっていくかのアドバイスをいろいろもらう。やっぱり母と相談しながら進めていくしかないのよね…と少し気が重くなる。

少しキッチンの片づけを実際にやってみようかということになり、30分ほど一緒に片づける。ワゴンにてんこ盛りの食品(主に乾物)はそのほとんどが賞味期限切れで、みるみるうちにごみ袋が満杯に。一人でやるより断然さくさく進む。

アドバイスをもらい、あとは自分だけでやるつもりだったが、Nさんから「これを一人でやるのはかなり大変よ」と言われ、結局5月にもう一度来てもらうことに。

Nさんが帰ったあと、父が「そもそもなんで片づけなきゃいけないんだ」と言ってきて、脱力する。

「もしあなた方が二人とも健康で、どんなに散らかっていてもそれで快適なんだというのであれば、私も口出ししない。でも、状況が変わったでしょう? 今のままでは危なすぎて母が戻ってこれない」と努めて冷静に説明するが、まだ不服げ。口論になって無駄に消耗することは避けたいので、早々に退散した。

ひとりになってから父の言葉を反芻してみる。正直「は?」と思うが、とにかく父は片づける意味がわからないのだ。そこは受け止めねばと思う。

今まで長い間カオスな空間で暮らしてきて、それが当たり前になっているし、未来を予測してそこに向かって調整していくための想像力みたいなものが、もともとなのか、老化によるものか、かなり欠如している。

とにかく父は、子どもじみた自己中ぶりが目立つ。今まではそれが嫌で、強い怒りを感じていた。

が、父もまたその父のことで今も傷ついていると知ってからは、しょうがないという思いが先に立ち、怒りの感情は少し後退した。

実家からの帰り、近くに住む友人と少し飲んだ。味濃いめのタイ料理とビールで疲れを癒す。翌日からは3回目の緊急事態宣言が始まる月末の金曜ということで、店は結構混んでいた。

父から「片づける意味がわからない」と言われたことを友人に話し、2人で苦笑する。

そして、そのことを今ここにも書いている。

今後、親からどんなことを言われようが、いったんは受容してみようと思う。面と向かって否定はしないよう最大限努める。それをすればすぐに親がへそを曲げるし、私も疲れ、ろくなことがない。

親とのやりとりで自分の中に澱がたまってきたら、周囲に話す、ここに書く、などなどで発散させよう。決して親に直接怒りをぶつけない。今までそうやって、さんざん関係をこじらせてきたのだ。


4月26日(月)
介護職員初任者研修・5回目。
レポート提出と在宅仕事の締切がバッティングし、徹夜明けで参加。

寝てしまうだろうなと思いきや、この日の講師はつかみが強く、ほぼ寝ずに受講。数々の困難な現場を乗り切ってきた方のようで、肝が据わっていてすてきだった。

「介護におけるコミュニケーション」というくだりで、「共感と同情は違う」という話が出てきた。

テキストには「共感と似た言葉に同情があるが、共感と同情は別もの。同情は、相手を自分よりも不遇な立場にいるとみなすなど、自分と相手とを相対的に比較することで上下関係や優劣関係を発生させるが、共感は、相手と同じ立場に立って相手の体験や感情をありのままに受け入れる対等な関係性を構築する」みたいなことが書いてある。

これまで傾聴を少し学んできた中でもよく聞いたことだが、「共感」という言葉があまりにも日常使いされすぎていて、ちょっとわかりにくいといつも思う。

少し前に読んだ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)にはこんなくだりがある。

 エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
 両者の違いは子どもや英語学習中の外国人が重点的に教わるポイントだが、オックスフォード英英辞典のサイト(oxfordlearnersdictionaries.com)によれば、シンパシー(sympathy)は「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」「2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為」「3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と書かれている。一方、エンパシー(empathy)は、「他人の感情や経験などを理解する能力」とシンプルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうもそうではなさそうである。
 ケンブリッジ英英辞典のサイト(dictionary.cambridge.org)に行くと、エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている。
 つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。
(ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』P75)

著者は「ふつうに同情したり、共感したり」と「同情」と「共感」をひとくくりにしている。

同情、共感を手元の辞書で引いてみると、

同情:苦しんでいる人や悲しんでいる人に対して、その人の気持ちになって思いやること。(明鏡国語辞典)

同情:人の気持ち・身の上、特に苦しみを、人ごとでなく感じること。おもいやり。(講談社国語辞典)

共感:他人の意見や感情を全くその通りだと感じること。また、その気持ち。(明鏡国語辞典)

共感:①考えや感情に親しみをもって、相手に自然に賛成すること。②心理学的に、人の考えや感情と同じような考え・感情になること。(講談社国語辞典)

ということで、ほぼ一緒では…?という感じ。同情という言葉にはどこか相手を下に見るみたいなニュアンスを感じてしまうが、本来そういう意味は含まれないみたい。

傾聴の文脈で出てくる「共感」は、上記の引用の「エンパシー」にかなり近いと思う。

多分、傾聴の文脈では、empathy=共感、sympathy=同情としてしまったから、混乱が起きているのではないか。empathyを一言で表現できる日本語は恐らくないので、「共感」ではなく、そのまま「エンパシー」と言ったほうがわかりやすいように思う。


この日は授業が早めに終わったので、そのあとに写真屋へ。実家を片づけていたら出てきたアルバムの写真からフォトブックをつくるため。母が赤ん坊の私を抱いている写真など。若かりし(といっても40過ぎ)父の写真も1枚選んだ。

フォトブックは、3冊つくった。母と父と自分用。メインは入院中の母のためだけど、自分にも必要だと思った。余裕がなくなると、目の前の年老いた両親にもかつて若いころがあったことを忘れそうになる。それを忘れないために。

テレビドラマ『前略おふくろ様』で、年老いた母親(田中絹代!)にも青春時代があったのだとショーケン演じるサブちゃんが語るシーンを愛している。

フォトブックができるのを待つ間、目星をつけていたケアマネ事業所に問い合わせの電話を入れてみる。退院のめどが立ってからまた連絡ください、とのこと。


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