ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』抜き書き② 子どもたち、保育士たち
アートテーブルの向こう側には他の子どもたちにまとわりつかれながらヴィッキーが立っていた。立とうとしたのにまた蹴りを入れられて床に転んだケリーは、丸く目を見開いて無言で姉の顔を見ていた。ケリーは姉が助けにきてくれるのを待っていた。が、ヴィッキーは部屋の反対側からわたしのほうをじっとみている。
それも見覚えのある場面だった。わたしも自分の息子が託児所で別の子どもに暴力を振るわれたとき、何もできずにそんな風にただ立っていた。当時の託児所責任者のアニーやイラン人の友人がわたしの代わりに息子を抱きしめ、彼を痛めつけた子を叱ってくれるのを待っていた。今度はわたしの番だ。
「アイーシャ、ストップ・イット!」
わたしはアートテーブルに走っていってケリーを抱き上げた。けっして泣かないケリーが、姉のほうに両手を伸ばしてわあわあ泣きだした。それは抗議の号泣だった。自分を助けにきてくれない姉を、他の子の相手ばかりして自分を忘れているのかのように見える姉を、全身全霊で呪っているかのような怒濤の泣き声だった。(P105-106)
「ケリーを連れ出してくれてありがとう。そうでなきゃ、今日は絵本なんか読めなかった」
託児所が終わった後で、ヴィッキーがわたしにそう言った。
「気にしないで。あれじゃ何も聞こえないもんね」
「難しい。ああいうときは本当にどうしていいのかわからない。相手の子を冷静に叱れるのは、私じゃないと思ったから」
「わかるよ。わたしも昔、自分の息子をここに連れてきていたから」
息子を託児所に連れてきていた頃、彼をいじめる子たちを叱れないわたしは母親としておかしいと批判されたことがあった。英国人の母親なら、まず自分の子どもを本能的に守るのに、日本人というのは肉親への愛情が薄いのではないかとさえ陰口を言われたこともあった。
だが、どうやらそれは日本人だけの特性ではなかったようである。
「一六歳でとっさにあんなことを考える子はそういない。彼女、いい保育士になると思う」
ケリーとヴィッキーが手を繋いで託児所から出て行く姿を見送りながら、友人がそう言った。(P107-108)
ケリーは悔しそうに瞳に涙をためてわたしの胸に頭をもたせながら、憤然として言った。
「『そんなもの』じゃない。これはケヴィンの服だ」
ケヴィンというのは、ヴィッキーのボーイフレンドの名前である。
「そんな間違った服はこの場から排除しなければならない」とレイチェルが言う服を着て、ケヴィンは働いているのだ。そんな彼のことをヴィッキーとケリーがどんなに誇りに思っているかわたしは知っている。失業者でも非正規労働者でもなく、安定した仕事についたケヴィンは、姉妹にとって希望の拠り所だった。
「そうだね。これは『そんなもの』じゃない。英軍で働く人が着る服だ」
ケリーの小さな背中をさすりながらわたしは言った。
「へえ。あなたって、実はそういう考え方の人だったんだ。知らなかった」
と言い捨ててレイチェルが部屋から出て行く。
しばらくしてケリーを腕から降ろすと、彼女はキャビネットの脇についている鏡の前に歩いて行ってじっと自分の姿を見ていた。それはまるで、自分の着ている服のどこが間違っているのか、一心に探そうとしているようだった。(P130)
泣いていたジャックをリンジーはうまくなだめ、粘土遊びのテーブルに連れていった。粘土をバカにしてはいけない。それは幼児の高ぶる感情や怒りを吸収できる不思議な玩具である。英国の保育士コースでは粘土がいかにアンガーメネジメントに役立つかを教えている。(P139-140)
ある日、底辺託児所で他の子の首に噛みついた野獣児アリスのところに、ロザリーが走って行くのを見た。
「アリス、やめなさい」
そう言いながら、噛みつかれた子を抱きしめるように手を差し伸べたロザリーに、びくっとしてアリスが身を縮める。
底辺託児所ではよく見られる、被虐待児の特徴である。大人に叩かれ慣れている子どもたちは、大人が自分の近くで手を動かすと反射的にびくっと身を縮める。
「アリス、そうやって怖がるのもやめなさい」
ロザリーは泣いている子を抱き寄せながら、ぴしゃりとアリスに言った。
「そうやってびくびくすると、それが気に障ってもっとあなたを叩きたくなる人たちがいるから。叩かれたくなかったら、堂々としてなさい。とても難しいことだけど、ずっとそう思って、そうできるようにしていると、そのうちできるようになる」
ロザリー。とは、英語でロザリオのことだ。
同じ祈祷の言葉を幾度も幾度も反復するロザリオ。
同じ腐った現実を幾度も幾度も反復する底辺社会。
しかしアンダークラスの腐りきった日常の反復の中にも祈りはある。(P240)
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