親の介護と自分のケアの記録 その8

親に由来すると思われる生きづらさを抱え、2021年3月からカウンセリングに通い始めました。これから介護などの必要が生じて親と向き合わなければならなくなる前に自分の問題を棚卸ししたい。そうカウンセラーに伝えた矢先、母が脳梗塞で入院することに。自分を支えるために、その経過を記録していきます。

前回分を書いたのが2021年の6月で、そこからなんと1年3カ月も空けてしまった…

2021年3月に母が倒れ、リハビリ病院から退院して実家に戻ったのが2021年7月。そこから週に2回実家に通う日々が始まった。

セルフケアをしないと間違いなく潰れる、という危機感があったので、朝一番にセルフケアの時間を作り、ヨガと瞑想と日記書きを日課とした。月1回のカウンセリング通いも続けた。

その甲斐あってか、これまでどうにかこうにかやれてきた。が、母の退院から1年が過ぎ、ここ最近しんどさが強い。

そんなわけで、8月末に久しぶりに整体に行った。母が倒れて以来。
「何か出したいんだけど出せない、みたいな感じを受けるので、それを出せるように促しますね」みたいなことを言われる。
このnoteを再開したい、そろそろここ1年ほどの棚卸しをしっかりしたいという気持ちがありつつもなかなかできずにいたので、すごく的確なことを言われた気がして、おお…!と思った。
ここ最近の左腕のだるさへの対処としては、左腕を肘湯で温めることをすすめられる。

整体に行ってから数日後、まだnote再開を実行に移せず、抑うつ感があったので、ふと思い立ち、坂口恭平の「躁鬱大学 音声版」を聴いた。これまでも移動中などに時々聴いていた。

そうしたら、特にこの回↑がものすごくよくて、立て続けに3回聴いた。
ようやく、このnoteを再開できる気がした。

というわけで、再開します。

とはいえ、1年以上の長い期間をどう振り返ればいいのかよくわからないので、とりあえず自分の日記などを抜き書きしてみます、少しずつ。

2021年9月29日(水)
昨日は一日母といた。
疲れは出たが、怒りを爆発させることなく割と穏やかに母との時間を過ごせたと思う。進歩かもしれない。

実家のキッチンシンクを片づけたら、父から「きれいになったのはうれしいけど、明日になったらまたすぐ汚れる…」と言われる。
「そうしたら、またきれいにすればいい。その果てしない繰り返しだよ」と返した。
父は、ほんとうにそういうことがよくわかっていないのだと思う。
実家をきれいにすることも、両親に対するケアなのかもしれない。

母は母で、自分の手の届く範囲だけを懸命にコロコロで掃除している。
やや神経症的に見える。
母に、「あなたのやり方はいつも、木を見て森を見ず、という感じがする」と話すと、「そうかなあ」と笑っていた。

2021年10月3日(日)
朝からあまり気分がよくない。
運転練習も最近あまりできていない。

自分を、動きの遅いパソコンのようだ、と思うことがよくある。
バックグラウンドで過去のいろんなことをうじうじと反芻していて、目の前のことができない。ボーッとしてしまう。
父も母も、そんな感じなんだろうなと思う。

2021年10月7日(木)
ここ数日は、穏やかな感情状態が続いているように思う。
昨日は母のところに行ったが、いらだつことなく穏やかに話せた。

自分の癖を自覚し、少しずつ改善を加えること。
例えば、料理をしていて楽しくなってしまい、時間を忘れてもう一品作りたくなっても、それをこらえる、というようなこと。
どんどん広げてとっちらかって、疲れて後始末をせずに投げ出す、というのが私のパターンだ。
広げすぎないで、あるところまでいったら収束方向に向かうことを意識する。

2021年10月9日(土)
家の中が荒れている…
が、自分を責めることはやめたい。

昨日は、母の通院の帰り道、病院から駅まで車椅子を押し、電車で帰ってみた。
これまでは行きも帰りもタクシーを頼んでいたが、いちどやってみたかったのだ。
秋らしい夕焼け空がきれいだった。
時折吹く風が気持ちよかった。
母にとっても、いい気分転換になったようだった。
冒険だった、と言っていた。
電車に乗る、という当たり前のように思っていたことが、そんなにも新鮮に感じられるということ。

昨日実家で、両親と3人で話しているときの空気感が、なんだかとてもよかった。
3人とも、今のこの状況を受け入れられている感じ。

2021年10月10日(日)
昨夜、久々に下痢をして寝込んだ。
考えてみれば、大変だったここ数カ月、私の体は寝込むこともなくよく頑張ってくれた。
そんな体をねぎらいたいような気持ちになった。

10月11日(月)
朝から疲れている…
昨日、夫の親族たちと会ったことからの疲れだ。
「私はここにいてもいいのだろうか」という、自分によく起こる不安感情がまた出ている。
以前なら寝込んでしまうレベルだったと思うが、昨日は疲労は感じつつも、どうにかもちこたえていた。
仕事の進みが悪いこと、保育所への提出書類をまだ書けていないことも地味にストレス。
手に細かい水泡が出て、かゆい。

2021年10月21日(木)
空気が乾燥している。
冬の空気という感じ。
気分はいい。
朝のセルフケアを続けられていることがうれしい。
以前カウンセリングで訴えた、朝起きた瞬間から焦燥感があるという感じは、いつの間にか消えているように思う。

2021年10月24日(日)
生理が始まりそうで始まらない。
体が重だるい。
昨日は頭がボーッとしていた。

『居るのはつらいよ』の再読を終え、『病と障害と、傍らにあった本』を読んでいる。この2冊になんとなく連続性を感じる。

私はこの先も、器用に世の中を渡っていけそうにはない。
けれど、そんな自分を卑下することなく、それでいい、と思って生きていくことはできそうな気がしている。

2021年10月27日(水)
なんとなく気分晴れず。
昨日はカウンセリングだったが、30分遅刻してしまった…
幸い私の後ろに予約が入っていなかったようで、遅刻を許容してもらえて助かった。

カウンセリングでは、片づけができないことについて細かく話し合った。
私としては、ほんとうは母が退院してからのここ2カ月の気持ちの棚卸しをしたかったのだと思う。
急場は過ぎた感じがあって、少し緊張が解けたらどっと疲れが出たとか、そういうことを話したかったけれど、片づけのことに終始してしまい、少し物足りない気持ちが残った。

カウンセリングのあとに実家へ。
久々に、母と話すと疲れる、しんどい、という感覚があった。
急場は乗り越えて、ここからがキツいのかもしれない…

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