恋愛エッセイ「業とは」

現代は物質至上主義に侵されていて、精神面がなおざりにされてると思うんだよね。
目に見えない精神面は、存在しないも同然に扱われる。
目に見える物質だけが、信仰の対象。
そのくせ、恋愛や結婚では「自分の内面を見て欲しい」というような欲求を抱く。
そういう、他人のことは物質的なものさしでしか評価しないくせに、自分のことは内面的なもので評価して欲しがる人を見ると、そもそもお前の内面は他人が見れるほど美しいの?って突っ込みたくなってしまうのだけど。

そういうわけで。
私が恋愛する際に、もし相手が持っていれば美しくていいなあと思う、内面の性質「業」について語っていこうかなと思う。
私と恋愛なんてノシつけてもらってもせんわと思う方も、生暖かい目で読んでいただけると嬉しいです!

「業を持ってれば」っていうのは意味不明だと思うけど、厳密には業は誰しも抱えているので、「業を認識して乗り越えようとしている」人のこと。
業というのは、事象の悪の面、ダウンサイド。
例えば、経済的な繁栄は、環境破壊というダウンサイドを持っている。
例えば、エコを重視すれば、エコに予算配分できないような弱小企業は淘汰され、失業者がでる。

現代が気持ち悪いなと思うのは、完全なる善があり、そのダウンサイドはあたかもないかのように語られることなんだよね。
それはLGBTやエコ等の問題でも同じ。
LGBTの権利ばかりがクローズアップされ、それを認めた際のダウンサイドは語られない。
キャンセルカルチャーは、完全なる善があるって思い込みで存在してると思うんだよね。
LGBTの権利は絶対善、エコは絶対善だから、LGBTの権利やエコに少しでも異議を唱えれば、完全悪だと全否定され、キャンセルされる。

そもそも、エコを本当に重視するのであれば、人類が地球上で必要以上に繁栄することすら悪になる。
エコを語るなら、人口の際限ない増殖を抑制して、人を減らすことまで踏み込んで語るべきと私は思うんだけど、そこはタブー扱いされ議論すらされない。

物事は程度問題で、人により状況により問題となる程度は変わる。
なんだけど、エコの定義は完全に固定され、その定義を満たしていないものは完全悪の烙印を押される。
で、エコから繋がって人口抑制の話をしようものなら、今度は手のひらを返して「優生思想に繋がる」と全否定。
物事は繋がってるのに、一面だけ取り出し定義を固定し、それを元に対策を立て実行しても、そのせいで今度は別の問題が発生し、もぐら叩きになる。

業の分かりやすい例から派生して、人類の業について語ったけど。
ここからは人が個人で抱える業の話。
分かりやすい例は、例えば、超絶優秀な人かな。
超絶優秀な人は、先の先まで見通しがきいたり、現状で採用してる手法の問題、上司や同僚の仕事の欠点、自分自身の欠点だとか、諸々見えすぎるところがあると思うんだよね。
それはもちろん素晴らしいことではあるんだけど、その業として、思ったことをその場ですべて語っても、なかなか理解されない点がある。
むしろ、語り方や語る内容次第では、周囲から敵認定される可能性がある。
実績もあり、「天才」の地位も確立してる超絶優秀な人は、そんなことないと思うけどね。
「あの人は天才だから」とほとんどの言動は許容され、言動は理解できなくとも、むしろなんだかありがたそうなものだと、崇められたりまでする。

光が強ければ、闇も濃くなるというけれど。
私はM気質なんか知らんけど、闇が濃い人が好きなんだよね。
相対的に光ばかりが強い天才ポジの人には興味がなく。
超絶優秀だけど、天才とは認められておらず、周囲との意思疎通に四苦八苦するような人が好みで。
そういう人のほうが、コミュニケーション能力も高い傾向あるしね。
何より、業と戦っている姿は美しいんです。
口先だけで、「自分は業を抱えてる」とかカッコつけて言う人いるけど、行動が伴ってなければまったく萌えないし。

そういうわけで。
人生は辛いですが、辛いことを真正面から受け止め乗り越えていくことは美しいので、頑張っていきましょう。

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