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自己紹介ー夢ってなんだろ

 はじめまして。shokoです。特に得意なこともない普通のおばさんです。私は子どものことから、特別得意なこともなく、ただただ、努力して生きてきました。勉強もさっぱりだったけど、必死でガリ勉し、その結果、ギリギリの優等生。ギリギリなので、苦しい優等生でした。みんなからは優等生と思われてもいつも自分の中ではギリギリ。ギリギリなので常に苦しかった。

 高校生になって、あっというまに劣等生になりました。ここでは頑張れないからやめようかなと悩んだこともあったけど、それでも、努力しつづけ、これまたギリギリ大学進学。

 そんなふうに生きていたら、大学院にもギリギリで進学し、ひょんな縁に恵まれて、今は短大で教員をしています。

 教員になってからも、ギリギリ。でも時間がない。ギリギリだから人より努力しないと研究活動が進まないのに、時間がない。けど、若い時は、あれはまさに根性でしかなかったが、なんとか博士論文も書くことができました。(毎朝、壁に向かって「私はできる!」と3回叫んでから出勤していた)。

 そんな私が唯一(かな)楽しく青春を謳歌していたのが中学生でした。だからか、中学の社会科の先生になる!という夢をもっていました。だからこそ、高校も、ギリギリまで一人で退学するか否かを散々考えた結果、踏ん張る選択をしました。

 さて、夢は叶ったでしょうか。

 中学校へ実習へ行きました。担当の先生に、「○○くんはいろいろちゃちゃをいれてくる。でも無視をすると授業が成立しないので」というアドバイスをいただいたうえに他の学校に喧嘩しに行っちゃうという。まじか!どうすりゃいいんだよ!であった。

 でもそこはなんか、神がかっていたのか、ものすごくうまくできたのを覚えている。うまくできただけではなく、その彼はほとんど参加していないがテニス部だった。私は実習期間中テニス部にはりついてテニスを楽しんでいたのだが、その彼が、最終日に「先生、はしろー」と言ってくれた。私は怪我をしていた彼にダントツに負けた。けど、心をひらいてくれたのかなと、嬉しかったのと、自信になったのも今でも覚えている。

 が、いまは短大の保育者になる学生を相手に教育を行っています。大学院のときは青年期教育が対象で私の論文は高校でのフィールドワーク(エスノグラグラフィー)。保育は全くの専門外。そして縁もゆかりもない静岡に、なんの縁があったのか働いているという。

 夢は半分叶って、半分叶っていないかんじがするが、今の仕事は嫌いではない。忙しいし、神経使うことも少なくないけど、チームワークの良い同僚と健気にいろんなことを抱えながらも頑張っている学生と、げらげら笑うことのほうが、多い気がする。たまーに、笑ってはいられない深刻なこともあるけども、それでも、表情が乏しかった私に笑顔が増えたような気がするなぁ。

 あっというまに十数年が駆け抜けた。子育ても、まぁ、まだ落ち着いてはいないが、娘は早い親離れを始めているので、次のステージは保育の研究をと思っているが、教育学、社会学、教育社会学を学んできた者としては、いろいろ難しいさをかんじている。けども、私が保育の世界に飛び込んだ頃に比べると教育学や教育社会学の領域でも研究成果が出始めているので、持ち前の(?)、根性と努力で、子どもにとって少しでもよい保育になるよう、頑張っている人と繋がりながら、もう少し頑張って行きたいなと持っている今日この頃です。

 少し、後期の授業が再開するまで、自分の時間が多少とれるので、コロナで調査も難しいし、とりあえず、今日は読みたい書物と本を自宅に運びました。明日からしばし、自宅に籠もって、お仕事と研究です。

  

 

 

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