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英語とフランス語をもう一度学ぼうと思う

昔から英語が好きでした。
中学1年生で英語の授業が始まるずっと前から、興味があったように思います。

小学生の時から何度も両親に「英語習いに行かせてよ~!」とお願いしていた私ですが、「小さい時から英語習ったら日本語が話せんくなる!」と言われついに叶うことはありませんでした。笑

でも、中学に入って「やっと英語の勉強ができる!」とワクワクした気持ちになれたのは、そうしてずっと叶わなかった憧れのような気持があったからこそかな、とも思います。

ようやく念願の英語を学び始め、当時はそれこそスポンジのように吸収していきました。
どんどん新しい知識が増え、新しいことが言えるようになっていくのはとても楽しかったし、その思いは今も通じています。

特に発音が楽しくて仕方ありませんでした。
ヒラリー・ダフにドハマりし、夜更かししてはイヤホンで歌を聞いて日本語にはない発音に近づけていく職人のような、オタクのような生活をしていました。

高校は英語教育に力を入れている国際系のコースに進み、大学では新しい言語にも挑戦してみたいとフランス語学科を専攻しました。

フランス語は、発音も文法も英語と全然違います。
英語は高校までで基本的な文法や語彙を習得していてあとは果てしなくブラッシュアップしていくだけなのに対して、今まで全く知らなかった、まったく違う言葉の仕組みを学んでいくのはまた新たな刺激になりました。

日本語専攻の友人(日本人)もできました。
何気なく使っている日本語ですが、まだ明確にルールが分かっていないこともある、その事実に衝撃を受けました。
何を日本語として「自然」に感じるのか、それはなぜなのか、受け取る印象はどう違うのか、学食でそんな議論を交わす日常でした。

社会人になり、言語とはかけ離れたIT企業に就職しました。
そこでは、繊細な言葉遣いの差で得られる結果が全く違うことに気が付かないわけにはいきませんでした。
幼いころに両親から言われた「日本語話せんくなるで!」が脳裏をよぎります。

他人に気持ちよく動いてもらうことでほとんどの仕事は成り立っているということに、働く中で気がつきました。
でも、私はそれができていただろうか。
私は実は、日本語ですら使いこなせていないのかもしれません。

私がなぜこんなに「言葉」というものに魅了されてしまうのか。
それは、新しいことを知って自分の世界が広がる楽しさからだけではなく、人との繋がりを作り世の中を動かすコミュニケーションについて、もっともっと知りたかったからなのではないか、と思いはじめました。

そう思うにつれて、英語とフランス語を「ある程度」のところでやめてしまったのが悔しいと感じる気持ちが大きくなりました。
どちらも海外旅行などでは全く不自由なく使うことができます。
でも、心を通わせる、意見を言い合う、相手を敬い気遣う、そんな本当の意味でのコミュニケーションが取れるようには、なっていません。

英語も、フランス語も、もう一度しっかり向き合いたい。

中学生になったばかりのピカピカの制服を着た12歳の私を思い出して、もっと深く人とつながることができるコミュニケーションを目指して、学んでいきたいと思います。

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