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【閲覧注意】腐りと鎖

2024.4.12

私は毎月2週目になると精神状態が腐りやすく、思考がマイナス方向に向きやすい傾向がある。なのでその週はどちらかというと嫌いだ。同じタイミングに通院や支援者との面談が重なると、良くも悪くもいろいろな言葉が出てきてしまう。

その週は火曜日の夜中になるとアウトプットしたい欲が出やすくなるので、その欲求は水曜日に思いっきりドバっとぶちまけるようにしている。
木曜日にもぬけの殻となり、アウトプットするものがなくなって脳内が寂しくなるまでがセットだ。


生々しい書き方をした流れで書くのも申し訳ないが、私は高校時代のデートDVしかり、異性との人間関係で苦労してきた。異性と話すこと自体、恐怖感が抜けないのかまだ慣れない。
と言いつつも、最近私の過去を知る異性の友人に会ってきたばかりではあるが。

その友人に限らず、私の過去を知っている友人にたくさん会いたい。ブラックコーヒーとともに過去の話と最近の近況を話すくらいでいい、ただそれだけの時間を一緒に過ごしたい。まあできれば異性がいいのだが、私が通っていた特別支援学級や特別支援学校ではどうしても女子が少ない傾向にあるので、そう贅沢は言っていられない。

ボタンのかけ違いだと言い切るのもおかしな話だと思うが、少しのすれ違いや接点がなくなったことで疎遠になった知り合いが何人もおり、そんな人達に会いたいと思うようになった。もしかすると友人が少ないからこそ、刺激が欲しいのかもしれない。

ここまであれこれ書いておいて何を言うのかと思うかもしれないが、最近対面で話す際の語彙力が足りていないことに気がつき始めた。
咄嗟に言葉を言うことの難しさに気づくことが多々あったのは事実だし、本心を言うのが恥ずかしくて小声になってしまうとか、やや言葉を絞り出すように発言することもある。先日投稿したnoteの一部分を読み上げて話したポッドキャストがまさにその例だが、思考を一度文字起こししてようやく自分の意見として話せることも少なくない。

本当に少しずつでいいから、自分の中にある鎖を解いていきたい。


それはそうと最近、自分が持っている広汎性発達障害、現在でいう自閉症スペクトラム(ASD)の特性について改めて考え続けた日があった。考えるきっかけはXで流れてくる当事者のポストだったが、自分に当てはまるところが意外と多く勉強になった。しかし少々つらくなって数日間SNSの投稿を控え気味にしたのもまた事実で、また人によって症状が異なるということもあり向き合い方が難しい話だと感じた。

向き合い方が難しいといえば休職している会社を退職したい件だったが、こちらは4月15日(月)に同月末付で退職することが決まった。


2024.4.16

退職が決まった翌日。
この日は高校時代の部活の後輩とカラオケに行った後、サイゼリヤに1人で行きピザとともにレモンサワーを飲んだり、推しフォロワーさんが出演されていた配信を観ながらタリーズでエスプレッソコンパナ(キャラメルソース追加)を飲んで過ごした。

そして実はこの項もタリーズで入力している。座席120分制バンザイ。

前日に傷病手当金の初回支給日が判明したので多少気分は良いが、正直全くもって退職の実感がわかない。何人かの方にまだ退職の報告ができていないし、部活の後輩にはカラオケの真っ只中に退職を伝えた(危うく失念して帰るところだった)。

もしかすると、自宅に書類が届いた辺りから少しずつ実感していくのだろう。とりあえず今日は飲み物が美味しい日だから、それを喜ぼうじゃないか。


2024.4.17

退職が決まって3日目を迎えた。わりとよく眠れたので出かけようと思えば行けなくもないが、あえて自宅から出ずにお昼からコーヒーを飲みつつベッドでのんびり過ごすことにした。
ベッドで過ごす日としては珍しくお昼にメシが食えたのでかなりえらいと思う。

家にいても居場所はほとんど部屋の中、1人でいることの方が落ち着く。でもなるべく楽しいことがしたいし、他の人と笑って過ごしたい。まぁ、人間生きていればそりゃそうか。


実はストレスをかけすぎたタイミングで交通機関の混雑をつらく感じる日がたまにあって、昨日(4/16)がまさにそれだった。行きのバスがかなり混んでいて座れないどころか動けず、また時間の都合でバスを乗り換えられないので仕方なくそのまま乗っていたのである。帰りも電車を2本飛ばしてから、空いている車両を選んで乗った。今月は少なくともあと3回は交通機関を利用するはずだから、頼んだぞ私。
ただ混雑した交通機関で声が出せるのは「あの頃」との決定的な違いだ、そこは誇っていい。

お喋り好きな私が場面緘黙症を会社で発症して休職し、そこから長い時間をかけてから退職が決まり、自分の声で元同僚に感謝を伝え会社を去った。
それまでの間に多くの楽しみを知りつつ、声を出せることの喜びと重みを文字通り痛感した。
最近は趣味が高じてポッドキャストまで始めた。
間違いなく休職してから、自分が変わりつつある。ただし、社会的な面を除いて。

元から発達が遅いからしょうがないんだけど、中身はまだ子供のままかもしれない。
せめて高校時代にもう少しまともな生き方ができていればと思うばかり。デートDVの一件は、私の高校生活と後の人生に重い影を残したから。
どうしてなかなかあいつとの恋愛を切れなかったのだろう。今もよくわからないが、寂しかったのか?

前もどこかに書いたが、愛し方も知らなければ愛され方もわからない。少なくとも年相応の人生を歩めてはいないし、周りに取り残された感は高校時代からずっとある。でもその高校時代の仲間と深い話をするのが私は好きだ。飲み会にもまた行きたいし、将来像を語るのも楽しい。

最近同級生同士で結婚した知人はさすがに流れが夢すぎるしあまりにも理想的で、私自身そういう関係にはかなり憧れるものがある。もし異性とそこまでの関係性になれば籍を入れなくてもいい派だが、この人生の孤独感もそうなれば少し減るのだろうか。
少なくとも私の歪んだ性癖と余りがちな性欲を受け止め切れる異性など、近くにいない気もするが…。

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