噛み合ってゆけ、微力たちよ

世界全体が混沌に足を突っ込んでいく中で思い出した景色がある。

東日本大震災が起こったまさにあの瞬間、僕は高校2年生で、学校のグラウンドで体育の授業中だった。転がっていくサッカーボールを追いかけていたら地震がきて、えげつない勢いで揺れる体育館を外から見て「これはなんか、ヤバいんじゃない??」と思ったことを覚えている。

どんどんと状況は変わっていって、住んでいた群馬県では計画停電が実施されることになった。信号機もひっくるめて、街中が真っ暗になるなんて初めての経験だった。
そんな状況だったけれどあんまり不安な気持ちはなくて、停電が始まる寸前まで僕はバドミントンの練習に打ち込んで、満点の星空の下、普段は電車で通う20キロの距離をルンルンした気持ちで自転車で帰ったりしていた。

不謹慎ながら、それからも僕の中ではあまり困りごとを感じるもなく、翌年には普通に高校を卒業して、大学生活を楽しんで、あっという間に社会に出ていった。本当にお恥ずかしい話だが、社会に出て色んな人と接する中でようやく初めて、3.11が世の人々の価値観をとんでもなく大きく揺さぶった出来事だったのだと知った。

あの時から9年。少しは僕も大人になって、知っていることも、感じ取れるものも、発せられる声も、あのときに比べたらだいぶ大きくなったように思う。単純に比較できるものではないと思いつつ、だからこそ今の混乱が大変なものなんだと感じることができている気もする。そして、大してできることなんてないんだなというちっぽけな気持ちも、ようやく生まれてきた。

あんまりできることはないとわかっているが、かといって無力感に絶望するつもりも必要もない。ただ、あふれる星空の下をチャリで走ったあの思い出が僕の中で「良かったもの」として残っているのは、他ならなぬ誰かが、こういった混乱の中しっかり舵をとってくれたからなんだと改めて感謝しよう。飛行機がビルに突っ込んだときも、未曾有の金融危機が起こったときも、微力ながら必死に推し進める人たちがいたから今があるんだと思う。

迷い、先が見えない中でも、少しずつ自分にできる意思決定を。


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