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「信」が揺らぐのはあっという間

0リセットすることをリセットします。2023年になってから、手元のお金を0リセットするということを繰り返してきましたが、すごく難しかった。「無理」が生じるようになったので、やめることにしました。
 

2023年の始まりから、お金を意識的に0リセットし続けてみてたんですね。お金を0リセットしたら、0ゆえに受け取ることが増えるから周りに贈って下さる方々が増えるじゃないか、と。参考にしたのは、古代の出家者たち。なぜあの人たちはお金を手放すのか。それは現代社会で成立するのか。それを肌感として感じてみたかった。

逆に自分の手元に0以上の数値がある時、それは自分が贈ることができるポテンシャルであり、0になるまで贈ってみようとしてきたんですね。お布施は執着を手放すほどこしの行為だと解釈しているんですが、0になってもお金がやってくる前提条件として、自ら0になるまで手放し続けてみることが大事だと思っていました。

数値を0にする過程で、お金が人とのつながりを断つ効果ではなく、人とのつながりを深めることを促進する効果を発揮できるように使ってみることが増えました。自分なりの生き金とは何か?の模索でした。実際、食べる機会をお布施したり、共感するプロジェクトに寄付してみたり、(リターンを手放すといいつつ、自分の執着を手放すという効用は相手の如何にかかわらず生じながらも)、気持ち良い関わりが生まれるコミュニケーションの可能性を探求してきました。

しかし、なかなか思い通りにいかないもので、結局、「お金がどう入ってくるか?」ということに囚われてしまいました。人間関係が深まるアクションを意識しながらも、お金が入ってくるということが止まってしまうと、自分の数値0の運動も止まってしまう。でも、そもそも人間関係というものをお金が入ってくるための手段にしたくないと思った。実際、関係の深まりから応援してくれる、そのあらわれとして、お布施する、寄付する、購入するという行為が起こることは、たしかにそうだと思うんですよね。でも、そうしてもらうから関係を深めるのかと言われると、そうでもないだろうと。

2年のお布施の実験という切り口を通して、とっても生き心地が良くなってきて、人生も捨てたもんじゃないなと思いましたが、お布施の実験をするために、人間関係を深めるということになったら、なんか違うぞと。そんなことを思ったんですね。

オープンに募ること

自分がやってきたこと。執拗にやってきたのは、SNSに口座を開示して、オープンに募ることでした。0円になったら募ってみる。それを繰り返してきました。だからSNSの発信が結構重要でした。その一方で、「SNSで安易に投稿したくない」という気持ちが起こるようになってきたんですよね。

ユニークな0円を告知するにはどうしたらいいか?とか、そういうことが頭を巡ってしまったんですよね。そもそも0円にしてみるということも面白そうと思ってやり始めました。同時に、それを面白いと思ってもらわないといけないとも思ってきました。

そういう気持ちに気づいたら、投稿をやめる。それを繰り返してきた結果、投稿自体がめちゃくちゃ減ってきたんですね。

でも、これまでのやり方だと、0円になった時に投稿をすることが紐づいてきていたから、0円の投稿ばかりが並んでいくことになります。これは嫌だなぁと思ったんですね。

あと、0円の投稿って面白いなと思うのは、葛藤している時に投稿しても、お金が入ってこないというか、自分がどれだけ手放したかに関わらず、なんかいいなと思った人が生まれなかった場合、お金はやってこないわけです。面白い投稿を狙っても、そうならないことが多かったです。作為的になるからなのかなぁ。

なんでもかんでも報告しないこととSNSの相性の悪さ

あともう一つ、投稿することに関して難しいと思った思ったことは、「いい感じだった」という出来事が起こっても、それを投稿しないことが多かったことです。自分からお布施すること、何かをさせて頂くという時に、「いいことしたよ!」という自分にとってのいいこと、みたいなものを投稿するのはで抵抗があるんですよね。寄付しても表に表現していないものが多いし、手伝ったからといって手伝いました!とも言わなかったことも多い。結構、会った人たちとは、いい関わりが生まれていったこの半年だと感じています。でもSNSに投稿しないことがどんどん増えていくから、そちらに出ていく投稿が「0になりました、贈ってくださると嬉しいです!」という趣旨のものが増えていく。陰徳を積むという言葉を意識していました。私がやりましたよ、ということがわからない形でも、何かしらやっていくこと。

それを続けていくうちに、0の投稿のいいね数、リアクションの数がかなり減りました。実際の生活での人の関わりはどんどん安定しているのに、SNSの方が微妙になっていく感じ。その数値を見ながら「信」の感覚をどんどん減らしてしまっていると思いました。

「信」信用、信頼につく、信です。お金を扱うにあたっても、信は極めて大事だと思っています。信が礎にあるからこそ、お金という取引も起こります。数値化できないかけがえのないもの、測ることができないものこそ大事にしていないと、人間関係を破壊しかねない。自分が2年間取り組んできたことは、人間関係を破壊しない存在の仕方だったのではないかと思った時に、やめないといけないと思ったんですね。

お布施であろうが、商品をお金と交換する経済であろうが、「信」をないがしろにしてしまわない方法を、着実に身につけていかないといけない。そう思います。色々と反省が多いです、うん。

オープンに募ることをやめていく
こういう思考の変遷があり、オープンに募ることを極力少なくしているのが今です。無理やりに手元のものを手放して、0になったら募ってということを高速回転させようとすることをやめることで、暴走をふせがないといけない。0リセット自体を何度も起こそうとすることに目的が置かれてしまうことが増えていたので、その修正のタイミングが今なのだろうと思います。皆さん、お騒がせしました。

方針
ひとまずの方針ですが、生活の糧を得る方法を引き続き模索することになりそうです。アート作品を制作すること、そのためのお金を含めた制作環境を調えていくことをやっていく。その時にもまた、今回みたいにお金を頂くということを試すことになるのだろうけど、なんか違うな〜と感じた0リセットの連発とSNS発信の形は、いったん終わりにしようと思います。

なかなかヒリヒリするね。糧にしていきます。

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