権威とは、衣の上から羽織るもの
すごく不思議なのだけど、「私はお坊さんです」という自己紹介に全然しっくりこない。いちおう10年前に不遇の得度(笑)を経験しているから、お坊さんなのかもしれないのだけど、一度も納得感がない。つい1年前くらいまで、自分がお坊さんとも思っていなかったから、自己紹介で「私はお坊さん」と名乗ることもなかった。でも、「お坊さん」と名乗ったり、名乗らなかったり、そういう葛藤やすっきりとしない心情が生じていたのは事実で、お坊さんというものに対するしがらみが生まれてしまっていた。
お坊さんですか?と聞いてくる人は思いのほか多い。特にお布施の実験をしますという時に、お坊さんかどうかというのは信頼をするかしないかということに影響があると思う。それを何よりも自覚しておかないといけない。お坊さんというのは、”纏う”ものだと思っている。アイデンティティの羽織り物の一つだ。お医者さんとか、弁護士とか、農家とか、そういうどういう存在なのかを知らせる一つのてがかりにすぎない。ただ、まだまだメカニズムを把握し切れていないのだけど、世襲制が色濃くなってしまっているお寺が多いこの世の中では、お寺もお坊さんも「権威」という現象と切り離せない。権威の衣を纏っているということを自覚する必要があると思う。(このあたりのことに関しては、仏教界という社会システムへの考察を深めながら、権威のあり方について探究していきたい)
「お坊さんは職業ではない、生き方だ」このような言説もよく聞く。私もそう思う。と、同時に、それは権威の衣を脱ぎ続けるという方向性での共感だ。そういう意味では、お坊さんであろうと、お坊さんでなかろうと、それはできる。お坊さんの世界にも、そういう方向性の変化を求めない人もいるし、一般の方々の世界でも、そういう方向性に向かっていこうとする人がいる。
ㅤ
皆さんご存知のワンピースに好きなセリフがある。このワンピースの中のアラバスタ王国の国王のセリフだ。
「イガラムよ。権威とは、衣の上から羽織るものだ。だがここは風呂場。裸の王などいるものか。私は1人の父として、この土地に住む民として、心より礼を言いたい。どうもありがとう。」
権威とは、衣の上から羽織るもの。ワンピースさん、胸に刻んでおきたい言葉をありがとう。