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巡礼生活から、巡礼する創作生活へスタイルが少しずつ変わっていっていると感じている今日この頃です。巡礼生活では、よく歩きました。創作生活では、より意識的に執筆していきます。なんでスタイルを変えるのか?と問われたら、「身体がそれを求めているから」だと答えています。頭でちゃんと考えたら、今みたいなことしてないと思うんだよね。笑

*もし、まだ前回のNoteの文章を読んでない方は、ぜひ読んでいただけると嬉しいです!

巡礼生活はよく出家という言葉と結びつけています。皆さんにとって出家って何ですか?仏教のお坊さんになること、みたいなイメージを持っている人が多いでしょうか。

私にとっても出家ということは、以前はそんなイメージでした。ですが、今、やや違う解釈をするようになりました。解釈が変わるにあたって影響を受けたのは、仏教学者の佐々木閑さんです。


佐々木さんの出家の定義は「出家とは、生まれついての世俗の生活の中で満足できない、価値観を持っている人が、自分独自の価値観を追求するために、世俗のさまざまな喜びや利益を捨てて、そして自分の新しい人生をもう一度リセットすること」です。私も、自分自身の価値観に忠実に生きたいという思いがあります。未だにしたいことを言葉では表現し切れていません。ですので、今も、己に正直になることにトライし続けています。

そんなことを考えていたら、昨年から巡礼生活を始めるという流れになったのでした。

ここでいう出家は必ずしも仏教の世界に入るということではないんですよ。私も佐々木さんの定義に触れるまで、出家といえば仏教の世界だ、というふうに考えていました。自分独自の価値観や人生の追求。大ざっぱに言うと、そこに重きを置いているのが出家です。他者が言う「当たり前だ」「〜しなければいけない」というものから離れていく。己に必要なものは残し、他者がどういう評価や意味づけをするのかということから自由になっていくということ。それが真に大事なのではないかとこの頃考えております。

「継ぐの?」と出家

生まれてこの方、何回この言葉を言われたかわかりません。私が生まれついた家族はお寺を営んでいます。小さい頃には「継ぐの?継がなきゃいけないんでしょ?」と言われるたびにメンタルダウンを引き起こしていました。そのころ、お坊さんといえば、周りにいたのは「住職」の皆さんです。今では「住職」という在り方に誇りを持っている人は素晴らしいと思うようになりましたが、私は当時、日本の住職という在り方に惹かれていませんでした。世の中の圧倒的な多様な方々に触れることもできていませんでしたからね。子供の頃は、なかなかに視野が狭かったと思います。

私の頭の中で凝り固まっていたもの。その一つが前述の「出家」でした。

出家と聞くと皆さんが想起するのは、出家先のお寺ではないでしょうか?

しかし、私の場合、お寺を営む家に生まれた結果「出家」してもお寺に返ってきてしまいます。家族経営のお寺ですから、お寺に返ってくるというより家に返ってくるようなものです。家から出て、家に返ってくる。ちなみに私の実家が営むのは、曹洞宗というお寺の宗派です。坐禅とかで有名なやつですね。曹洞宗という宗派の修行道場として有名なのは、永平寺と總持寺という場所ですので、いちおう家から出て、別のお寺にお世話になり、それで家に返ってくる構図になるのですが、それでも家に返ってくる経路になっています。

またこの問題には、ほかのややこしさもついて回っています。それは何かというと、宗教2世の問題です。つまり、私は曹洞宗の教えに対し、それを求めて出家をし、信者になった人間ではありません。その環境に生まれただけです。その文化に触れるきっかけをありがたいと思えばそうですし、そう思うことが(曹洞宗および仏教の宗派に集うお坊さんの集団において)望ましいと思う人が多いようにも感じます。

自分自身の信仰は曹洞宗の流れに帰属しているのかと言われると、怪しいんですよね。大きく影響を受けたと思いますが、自分自身の価値観がそこに収れんされていく、完全にゆだねていくというのには無理があります。参考にする、つまりは、一時的に便りにするところの一つではありますが、唯一の正しさではないと感じています。もちろん、その共同体内で「信じろ」「これが正しいのだ」と言われてきたわけではありません。ですが、否定してはいけないような雰囲気が漂っています。

もちろん、後世に多大な影響を生み出している先人の方々が人生をかけて探求していったものを、今の自分の考えの狭さから「違う」と判断することは早とちりだと思います。とはいえ、身体にしっくり来ていないものを受け入れ続けることは、あんまり精神の健康にはよくないのではないかなぁと思っています。

むしろ自分の信仰は、世の中の万物が巡っているということに礎を置いています。むしろ、いわゆるお釈迦さんの言う「諸行無常」の考えには共感しますので、そういう意味では、お釈迦さんは参照させていただく参照点の一人として、感謝していますし、ありがたい存在です。曹洞宗の流れの元になっている道元さんにも、今ではようやく感謝できるようになりました。曹洞宗が成立していないと、そもそも生まれついたお寺がないですから。今生きていることも、過去の方々がいないと成立しません。ありがたい限りです。

でも、信仰していますか?と言われると言葉に詰まってしまう。信仰って何なのでしょう。

そういえば子供のころから、こんな思考回路がずーーーっと回り続けています。曹洞宗や仏教やお寺の良いところを見つけなければいけないという思考の癖です。今はありがたく仏教の思想や実践からヒントを見出し、実生活と表現活動にそれらを取り入れさせて頂く身です。ありがたい教えだと思うことは格段に増えました。

ただ、ずっと、「曹洞宗の教えを肯定的に受け入れなければいけない」と思い込み、「それは良いものでなければならない」と解釈しようと努めてきたのでした。自分の人生を否定したくなかったからです。なんとか正当化しようとしたり、何とか肯定しようとしていたのだと思います。それは別にそれらをありのままにとらえていたわけではないのでした。いわば、その文化の中に生まれて、苦しかった。苦しかったからこそ、その苦しさに目を向けたくなくて、一種の逃避として無理やりに肯定するという作用が起こっていた気がします。

ここまで書いてきていますが、あくまで自分のとらえ方を書いているだけなので、曹洞宗や仏教、お寺にかかわる方々を否定したいわけではありません。それだけは誤解なきようにお願いします。自分が信じるものを大切にするということは素敵なことだと思いますので。

思いがけず、出家?

大学生になって、思いがけず出家してしまいました。思いがけず、という言葉を聞くと、「思いがけず、利他」という本を思い出します。私に起こったのは思いがけずの出家です。出家なんて死ぬほどしたくなかったのですが、大学生の時に行いました。私は大学在学中に交換留学の制度を活用して1年間カナダに留学していました。大学4年生に日本に帰ってきたタイミングで、実家に行った際、「どうしても人手が足らない行事」があるというのです。それは、修行僧のリーダーの役割の方が、お寺の住職になる方と仏法を戦わせるという「法戦式」という儀式でした。

曹洞宗の場合、簡略化すると、お寺の住職になるには、3つのステップを踏む必要があります。一つ目は、半年以上、修行道場で修行をすること。二つ目は、上記の法戦式です。最後に、住職になる晋山式という儀式を経る必要があります。普通、法戦式というものは一ステップ目を終えてから行うものですが、今回の件はこの儀式の人手が足らないという話でした。

この頃は、今よりもずっと自分のやりたいことがわからず、そして他責傾向がとっても高かった頃です。こういうお寺にまつわることが精神的に嫌で仕方なかったです。ですが、それなのにですよ。嫌で仕方なかったにもかかわらず、やることになりました。強制的にやらざるを得ないというふうにスイッチが入っちゃってたんですね。自分の意志というものがすっぽ抜けてしまって、自分という感覚がすっぽ抜けていってしまうという在り方でした。これって、今振り返ると、とってもコントロールされやすい状態だったのです。不安によって動いている状態です。不安で動いている時、正常に判断ができないことが多いと思います。どうしようもない、仕方がない、お寺に生まれてしまったからだ、等々、あまりよくない意味でのあきらめが次々に精神をむしばんでいきました。

そして行事にもれなくついてきたのが「出家(得度)」という儀式でした。何やらよくわからないことを覚えて、それを唱えて、頭に刃を当てて、剃ったことになりました。(刃を当てる前にバリカン等を駆使して丸坊主にしてもらいました。)髪を剃った時の屈辱感を今でも覚えています。

これが、私の第一の出家体験です。

これが未だに引っかかり続けているんですよね。求めて入る世界である出家という入り口に、やりたくなかったのに、という気持ちで入っている。行事でトラウマが生まれ、お寺へのヘイトが高まりました。やりたくないという意志表示をすることが出来なかった無力感。自分のせいであるとするならば、そうなのでしょう。でも今思うと、そこまで自分のせいにも、文化のせいにも、しなくていいと思うのです。別に今、改めて犯人探しをしたいのではありませんが、なぜ、このようなトラウマになる人が生まれてきていたのかを解明したいです。

巡礼生活をしているうちに、「この文化の伝わり方はいかんよね」と共感してくれる人も見つかりました。しかも、その方は、こういう現象が全国の同宗派の至る所で起こっていると、認識しているとのことです。

ただ私は、巡礼生活という、別に誰からも求められていないことに踏み切る中で、このトラウマをようやく受け止めることができるようになってきたように思います。癒しのプロセスが起こっていっています。私にとって、この巡礼生活自体が心の出家ともいうべきものでした。巡礼生活では、お寺が定めるような文化的な規則めいたものを順守して始めたものではありません。野良の出家です。個人的に出家と言っているだけの行為です。

その野良のあり方のもとで、生きる心地がどんどん湧いてくることに驚いています。生きることが楽しいんです。やりたいことをやっていると感じています。

それは、思いがけず納得のいかない出家をしてしまった過去には体験できなかったことでした。

次の投稿では、させられたと思った出家と、私の「マイ・出家」について、さらに考察を深めてみたいと思います。


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