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岡山県の神道山に登り、神道 黒住教の拠点に行ってきました⛩〜太陽の恵みを頂いて生きる〜

こんにちは。岡山に来ています。Facebookの方で呼びかけてもらい、早朝に岡山県神道山へ行ってきました。こちらには黒住教の本部があります。黒住家に生まれた 黒住宗芳 君にありがたくも黒住教本部をご案内していただきました✨

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今回の投稿では、黒住さんとお話した中で印象に残ったキーワードを書き出しています。あくまで私の印象に残った点について書いているので、黒住教のことを詳しく知りたい方は、HPをご覧ください。

黒住教くろずみきょうは、備前岡山藩の守護神社・今村宮の神官であった黒住宗忠くろずみむねただ(1780~1850)が、江戸時代(文化11年11月11日・西暦1814年)に開いた教派神道です。幕末三大新宗教に数えられ、神道十三派の草分けです。 死を覚悟するほどの病を克服した宗忠が、満34歳の誕生日であった冬至の日に、昇る朝日を拝む「日拝にっぱい」の最中に天啓を得て、天照大御神あまてらすおおみかみと一体になるという「天命直授てんめいじきじゅ」の宗教的体験をして立教しました。その教えは、一切万物すべての親神が天照大御神で、その尊いはたらきの中であらゆるものが存在し、人は天照大御神の「分心」をいただいた神の子であるという世界観です。(HPより抜粋)

さらに、黒住君(8代目)の別媒体でのインタビュー記事もこちらに載せておきます✨

かみ以下は、私が印象に残った点


・まず、黒住君に感謝😀
今回、黒住君が朝から岡山市内に迎えにきてくれました。集合は5時50分でした。「はやくない?」と思う人も多いかもしれません。それにはわけがありまして、黒住教で大切にされているのは「日の出」です。拝む対象として、太陽の存在、特に象徴的な日の出は、黒住教にとっては大事な時間。本日の訪問時には曇っていましたが、それでもなお、素敵な体験でした。

・毎朝、日の出を迎え拝む「日拝式」が行われていること

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黒住教の拠点に行くと、黒住教大教殿という大きな建物がありました。そこで、「日拝式」という毎朝行われている儀式に参加しました。一般の方の参拝もOKなようです。古くからの日本語(やまとことば?)に触れる時間になりました。

三浦が思ったことのメモ

→こういうプラクティス(実践)が続けられていること自体が尊いですね...。唱えてらっしゃる音を聴いていると、お経の節回しとも似ているような感じで親近感がわきました。

・和歌に音程がついて、唱える
日拝式の一部には、音程つきの和歌(5・7・5・7・7)を詠む時間がありました。

三浦が思ったことのメモ

→ 私も昨年から詩を書くようになり、「和歌」に節をつけてそれをみんなで唱える時間があったのには大興奮です(笑)
 
→ 和歌には自然を歌った歌が圧倒的に多いので、このような伝承方法が取られているのは、自然を大切にする黒住教(もしくは神道?他のケースのことを知らないので、普通のアプローチなのかもしれません)との相性がとっても良さそうです。

・黒住くんとのお話:Primitiveについて 
Primitiveは「原始的、素朴な」という意味がありますが、黒住教はプリミティブな感覚にアクセスするアプローチ。「日の出」「太陽」を崇めるということがベースにあるのだそうです。

三浦が思ったことのメモ

→人間を生かしている太陽に意識が向き、それに生かされていることを思い出すことは、頭でどうこう考えるもの以前に、私たちを Primitiveな感覚に引き戻してくれそうです。

・黒住くんとのお話:離我について
黒住君と「我」についての話もしました。仏教思想では、「無我」という言葉があったりしますが、神道にも「離我」という言葉があるようです。

・黒住くんとのお話:道について
さらに興味深かったのは、黒住教の説明の時に「道」についての話が多いこと。他の多くの宗教との対比の中で明治期に、教えが「教化」され、中央集権的な組織形態が受容されていったと理解しています。黒住教も、同様に、黒住「教」の色合いが強くなっていったのでは?という話になりました。もともと、黒住教というよりも神道黒住「派」というニュアンスだったのではないか?と黒住君は話していました。さらに派のニュアンスは「派閥(→組織内において利害で結びついた人々によって形成する集団)」というものよりも、「影響を受けた流れ」のようなものなのではないかという話は、なるほど〜!と納得感がありました。神道の流れに影響を受けている黒住の教えの流れ。うん、しっくりきます。

頂いた冊子に、黒住教を開いた方についての「"神"への道」の模索について書いてありましたので抜粋します。

"神"への道を模索
神とは何か、またどうすればその神になることができるかと、それが教祖の青年期における大きな問題であった。書物を読みあさり、識者・徳者といわれる人を訪ね、神になるべき道を尋ねても、これぞという答えは得ることができなかった。そこでひたすら心の研さんに励み、自ら神になる道を求めて、二十歳のときについに最初の悟りを得た。

「心に悪いと思うことを、決して行わないようにすれば神になれる」というのが宗忠の悟りであった。

そしてその心に悪いということを具体的に書き上げている。人の物を盗むとか、人に迷惑をかけるといった法律的・道徳的に悪いということにとどまらず、宗忠が神になるためにしてはならなぬと心に決めた悪いこととは、「信心する家に生まれ信心しないこと。自分が慢心をして人を見下すこと。人の悪いことを見て自分にも悪い心を持つこと。病気でないときに仕事を怠ること。誠実な人生を口では言いながら心に誠のないこと」で、以上のような生き方をしてはならないと強く心に決めた。

ここに書いてある「"神"への道」の解釈についても、黒住君と話しました。

"神"への道というのは、ここでは、「人としてよく生きる」というあり方を求めていこう、よりよい人になっていこうという道というニュアンスなのではないかと黒住君は解釈していました。

・黒住くんとのお話:所属
黒住君といろいろ雑談していたんですが、「所属」についての話にもなりました。もう所属の時代じゃないよね、という時代観には心底共感します。

三浦が思ったことのメモ

→所属をGoogleで調べてみると面白いです。「命令・指揮系統に従うこと」という意味がトップに出てきます。これは明治期以降に作られた中央集権的な組織のあり方に影響を受けているのではないかと思いました。それは軍の作り方など、戦争にまつわるあれこれにも影響を受けている気がします。
  
→私が所属について考える時に、直感的にいいなぁと思っているのが、山から川型への以降です。"山"はヒエラルキー。これまで作られてきた、上下を含む組織構造や共同体など。排他的な村社会を引き継ぐ"山"は人を所属させる傾向が強いです。その山は、たくさんの特権や資産を引き継いでいるので、影響も大きい。一方で、これからの時代は、"山"に所属するというよりも、臨機応変に変わり続ける"川"のような人生の歩みをする人たちなのではと思っています。山から水が流れます。山間部を川が流れます。その時に、山と川は密接な関係にあるのですが、川という流れになりながら、山の特権や資産を流れと共に分配していく。逆に山に関わる人たちは、一つの山を絶対的な存在とせず(つまりカルトの種を養うことなく)複数の山にアクセスできる柔軟さを持つ。そういう生き方がいいのではないかと思っています。
 
あくまで比喩の話でしかありませんが ^^

さらに、自分が救われうるものはいくつもあっていいよね、という話もしました。(たとえば、オンラインサロンで救われる人もいる。)たった一つの教え、考え、共同体しかありえない、という発想のあり方になってしまうと、むしろそれがなくなってしまった時にアイデンティティの致命的なロスが起こり、生きていくのがしんどくなるという趣旨の話をしました。

三浦が思ったことのメモ

→自分がただ一つのものを信じきらないといけないというのは苦しいことになってしまうなぁと思っているので、それを分散することについてはとっても共感でした。お寺・神社、そういうものが、とある人にとっての一つの拠り所になるというのはいいですよね〜。ただ、それだけしか信じてはいけない!みたいな働きかけがある場所は、信じさせる側と信じる側のあまりよくない依存関係を作り出してしまったりして、苦しさを生み出してしまうのかなぁと思いました。

→神道、(特に日本に見て取れる)仏教。そういうものの背景に、「自然」があるとすると、「物事は留まらず常に移り変わるものである」という考え自体に拠り所がおかれることになりますね!黒住教でいうと、「日の出」や「太陽の存在」に。それらは毎日違うように観測されるもので、太陽自体もエネルギーを放射し続ける存在で変わり続けているもの。そういうものを拠り所にするということは、自分自身が変わり続ける素地を養うことにつながりそうだと思いました。

・黒住くんとのお話:かがみ

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黒住教大教殿の奥の方には鏡が祀られていました。三種の神器の一つとしても数えられる鏡ですが、黒住教大教殿でも重要な存在として扱われています。黒住君の解釈では、「かがみ」は自分と向き合うメディウム(触媒)のようなものとして作用しているのではないかという話はとっても興味深いものでした。「か 我 み」から「我」を引くと、「かみ」になる。言葉遊びのようですが、黒住教の開祖の方の"神"への道を模索の箇所とも通じる話です。祈ることを通して、自分自身の私利私欲と向き合っていく。その時に、「かがみ」という媒体があると、それが起こりやすくなる(のかもしれません)

三浦が思ったことのメモ

→たしかに、このように象徴的な媒体があるというのは、大事なことのように思います。より良く生きるために、自分と向き合い続ける。その時に神様の存在や自然の存在があると考える捉え方はいいなぁ。
 
→「うつす」「うつし」という言葉との親和性もいいですよね!松岡正剛さんの本『日本文化の核心』のことを思い出しました。松岡さんは著書の中で、日本文化の核心は「おもかげ」と「うつろい」と語っていて、さらに「うつろい」の言葉から「うつろ」に言及し、それは「映る」も「写る」とも通ずると語っています。

ここからは三浦の勝手な解釈ですが、自然が移り変わるということ。それをうつろいという言葉で表現すると、「かがみ」というものは、自然(かみ)を媒介したものとして在り、私たちはそれに照らし返されて「自分自身のうつろい(変わり続けている様)の一瞬一瞬を知る、というふうに機能するのではないかと思いました。

より良く生きていく、という時に、私利私欲にまみれることなく、自分自身が流れるように移り変わっていく。言葉では簡単、実践はどこまでも深めることができそうです...😂 

ちなみに、「うつろい」についての読書・思索メモはこちらのNote記事に以前まとめました。→ こちら

・黒住くんとの話:より良く生きる

三浦が思ったことのメモ

→「よりよく生きる」という言葉が黒住君の話から出てきました。「ウェルビーイング」の文脈とつなげて思考している感じなのかな!とっても共感します。
 
→自然との関わりを深めることによる「ウェルビーイング」の深まりについて考えてみたい。近代社会になって、人は都市と地方という枠組みを作り出し(枠組みが結果的に生まれ)、人口は都市に集中していきました。そこでは、社会・経済はさも自然から切り離されたようになってしまう。特に経済は交換の原理で埋め尽くされてしまう。そうすると、私たちは、「すでに受け取ってしまっている」ということを忘れてしまい、受け取るためには生産しなくてはいけないという思いに時には囚われてしまうようになります。今回の黒住教の拠点を訪問し、黒住君と話して、改めて「太陽からの恵み」を頂いて私たちが生きていることを思い出すことができました。それを思い出すことは、近代社会を経て、「自らが生きている」という感覚が強い人たちが「生かされている」というあり方にシフトするきっかけとしても機能しうると思います。自然をベースにした生きている感覚の変化、それをウェルビーイングの一解釈にしてみるのはどうでしょうか?

→さらに黒住教の本部が岡山にあることの意味を考えてみました。大都市ほど都市圏というわけではなく、かといって、秘境というほど秘境でもない。元々、晴れの国と呼ばれていた岡山だからこそ、そういう太陽の恵みという物語をそもそも土地が引き受けやすく、黒住教本部もその物語の発信源の一つとして説得力があります。

さらに、もう少し狭い範囲の地理を見てみると、今回行った神道山は、街中からは少し外れていて、山に登るということが、太陽の恵みを享受するモードに切り替わるのに良い場所にあるのではないかと思いました。岡山の街からすると、少し辺境にあり、ほどよい近さにあり、素敵ですね!移動することで普段の日常のあり方を捉え直すきっかけが得られやすいはず😇


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神道山では、上記のようなことを聴き、思索をする機会に恵まれました。楽しかった!黒住君、本当にありがとうございました〜!✨

今回の関わりの中で一番印象深かったことは、「太陽の恵み」を頂いて私たちが生き、生かされているというプリミティブな感覚を再起動することができる物語の集積と紡がれてきた場がゆたかにあるということでした。

太陽の恵みは、誰しもが受け取ることができるものです。その恵みを精神的に受け取りやすくするための実践を開発してきたのが、黒住教の皆様だと解釈すると、黒住教の流れの中に蓄積されてきた物・人・(儀式等の)コトのご縁は尊く、今後も健やかな形で続いていってほしいなぁと思う次第です。

今回、岡山滞在中に黒住くんにFacebookでコメントを頂いて、光を当てていただくことで、この度の訪問が生まれました。太陽の恵みのお裾分けを頂いてしまいました。ありがとうございます✨

いやー愉しい時間でした。明日からの太陽の見方が変わりそうで、楽しみです。変わろうとも変わらずとも、太陽に生かされていることは忘れないようにいたします。

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