家の中で美的な感覚が生じるのはどんな時だろう?
トークイベントに行ってきました。
会場は三鷹にある本屋「UNITÉ」。ゲストは『スマホ時代の哲学』の哲学者・谷川嘉浩さんと、上記の本『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門』の青田麻未さんでした。谷川さんの方は京大の学部時代の同期で、時々関わりがあるのでここでは割愛(いつもながら、楽しいトークをありがとう!)。青田さんの方はここ数日で知って、初めてお話を拝聴しました。
最初に青田さんを知るきっかけになったのは、人文・社会科学分野の研究者を伴走支援し、社会との多様な接点をつくるアカデミックインキュベーター「デサイロ」のメルマガです。「日常」「世界制作」「家」というキーワードにピンとくるものを感じ、そのうちお話を聞いてみたいと思っていたのですが、谷川くんのX(旧Twitter)のタイムラインに「青田さんとのイベントがあります」という告知が出てきて、これは行くしかないと思い、トークにやってきたのでした。
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話された内容は、トークの前に本屋で購入した青田さんの本を読んでから、再度解釈したいと思うので、この文章では頭をクールダウンさせるために思い浮かんでいることを並べようと思います。
まず一つは、この本を読むことが日常と芸術の間の人間の感性に目を向けるきっかけになりそうです。普段、私は布施の日常生活と創作生活の間でバランスをとっているという自覚があるのですが、その時に重要視していることは感性がオンになること。夕日を見てジワーッという気持ちが生じるとか、布を縫っている時の楽になる感覚の広がりとか、食べさせてもらう時の心の変化など、そういうものが随所にある生活と創作に境目がありません。最近は特にそうです。そのあたりの領域にも目を向けてらっしゃる研究者の青田さんの視座をお借りして、より自己のあり方を深化させていってみたいと思いました。
二つ目に印象に残ったのは、コロナ禍における「生活志向の人たち」の様子です。少なくとも私と私の周辺では、生活自体に目を向ける人が増えました。私の興味としては、生活が働くことや仕事と分離せず、創造的な暮らしなるものがどういうふうに起こってくるのかということです。その時の”創造的”は、必ずしも芸術作品を作っているとか、アート活動をしているとか、そういうものに収まりません。つまりアート・芸術というラベルをつけた話ではなく、人間の営みとして創造的な状態はどう説明できるのか、どう促進されるのかということを考えています。たとえば料理とかね。
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私自身はこのような観点から深掘りしていきたいと思っているのですが、日常と芸術の間を意図的にぼかしていく人間のあり方や生活と創作技法のやり方を考える際の着想のリソースとして本が力になってくれるのではないかと感じています。いわゆるアートというラベルがついた世界での芸術的実践を日常に取り込んでいくという境の越え方もありうるし、逆に日常的実践が境を越えて芸術化することもありそうです。自分なりにその幻の境を越えながら、自分の感性、もっというなら、他者との垣根が解けていく普遍的な感性に基づく生き方というものが現れてくるのではないかと思いました。
ここまで書いてきましたが、トークに参加したけれど、まだ本は読んでいません。まずは青田さんが深めてきた視点を理解することに努めようと思います。(長い時間をかけて研究プロセスの中で練り上げてきた知恵を本を書く形でシェアしてくださってありがとうございます!いったんの一区切り、お疲れ様です✨)
谷川さん、青田さん、会場の方々、企画してくださった方々、ありがとうございました!読者の皆さんも、ぜひ気になったら購入して読んでみてください。もしくは知り合いの人であれば、呼びかけてください。読んだ後にお渡ししますので。
では!
頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!