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月待講をおこなう中で大事にしたい「無常観」という日本文化の流れ

トランジションの取組みとして、2020年12月、「月待講」を始めることにしました。

今回の投稿では、その「月待講」をおこなうにあたり、大事にしたい「無常観」と「うつろい」について書いています。活動のための思想メモです ^ ^

人生のうつろいと変化の受容 ・ 「無常」という身体感覚

人生、いうまでもなく、変わり続けます。「こうに違いない」と思っていても、時に豪快に、時にはかなく、変わってしまいます。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。(平家物語)
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

(川の流れは絶えることはなく、それでいてそこを流れる水は、同じもとの水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方ではできて、そのまま長くとどまっている例はない。世の中に生きている人とその人たちの住処もまた、ちょうどこの川の流れや水の泡のようなものである。)

鴨長明『方丈記』

これらの文章にこめられてきた無常の感覚が、好きです。

「無常」「はかなさ」は日本文化という流れの中において、重要なテーマとして挙げられてきました。

私はこの「無常さ」の感覚を取り戻していくことが、私たちの健やかな変化の感性を取り戻すことにつながると考えており、「月待講」はさまざまな移り変わりを分かち合う場に育てていきます。

私は「無常さ」をこのように解釈しています。

亡(無)くなっていくことを嘆き悲しむ感覚」ではなく
 
生まれては死んでいく流れをありありと感じ、

一時も留まらない流れの中にある感覚」

です。

社会の変化と変化への強迫観念から脱する

社会の変化が早い。

このように言われるようになってから、もうずいぶんと経つと思います。むしろ、いつの時代も、変化が早い、変化が早いと言われてきたのではないと思うくらいに、いつの時代もこのように言われるのだと思います。

社会の変化の背景には常に、「惑星の運行を通して季節や月日が巡ること」が起こってきました。自然はあるがまま移り変わり、それをベースにした暮らしを営んできました。

近代社会を経て、私たちは高速で移動できる手段を得て、さらには情報技術をも扱えるようになりました。それによって、体感的には、私たちの時間感覚は急激に早くなり、やや行き過ぎた状況が生まれつつあるのではないかとも思っています。

時間の余裕がなくイライラしてしまうこと。
常に成長していないといけないと思い、苦しくなってしまうこと。

さらに、誰しもが変化を生まれてから死ぬまで変化を続けているはずなのに、「よりよく変化できる者」と「変化できない者」という差別さえも生まれてしまうような、社会の不自然さが生まれているように感じています。

このように変化について考えることになった背景には、「変化」について探究してきた仏教 / お寺の世界に関わるきっかけに、ここ3年ほど恵まれたことや、山、川など、コロナ禍にゆたかな自然環境へ触れ直す機会を頂いたからです。(元々、お寺出身ということもあり、お寺 / 仏教関係の方と共通言語を持ちやすく、たまたま関わるきっかけが得られやすかったのだと思います。)

脱経済への一辺倒な依存
こころゆたかに生きるには?

仏教思想に触れている中で起こる変化は、「苦が減り、楽に在ることができる状態への移行(抜苦与楽」です。

仏教用語でいう「諸行無常」という言葉も、全てのものは移り変わり続けるという「うつろい」および「無常なあり方」を指し示していると解釈しています。

現代社会において、「信仰」「信者」という宗教的な色合いが濃い言葉は敬遠される一方、ますます多くの方が、物理的なゆたかさ以上に、こころのゆたかさを求めるようになってきているのではないかと思います。

そんな中に、確かにお寺 / 仏教の世界の方々が語ってきたこと、実践してきたことは、こころのゆたかさを育むことのきっかけになり得ます。

月待講は、私なりに感じている、そのエッセンスを、お裾分けする場です。

「過剰な物的な生産・消費のあり方」から「心ゆたかに生きていくあり方」への移行をささやかながらに後押しできたらと思いますし、仏教思想やお寺、文化について考え、実践する縁をいただいてきた自分の命を活かす方向性は、この点にあると考えています。

自然のリズムと同期することによる変化・うつろい

活動していく上で大事にしたい言葉があります。それが「うつろい」です。

私は、東京に住んでいる時に、自分自身の体調が調わないことが増え、精神的に躁鬱傾向が強化されました。東京はいい街だと思いますが、私自身は、もう少し緑が多いところの方が、自分自身の感性を開きやすく、自然と生じてくるクリエイティビティにアクセスしやすいと感じています。

「うつろい」という窓から見えてくるのは、ありありとした変化の世界です。もともと、近代社会が成立する前は、多くの人が自然の移り変わりを身近に感じていたのではないかと思っています。その身体感覚のあり方に現代の今こそ学ぶことができると思うのです。

自然との関わり方の変化。これが今後の鍵になると思っています。共感する活動でいうと、Ecological Memesさんの取組みは素敵だな〜と思っています。

私は、月待講を通して、少しでも「自然の感覚 / 季節の感覚」を取り戻す人が増えたらいいなと考えています。

さらにこれは文化的な営みです。

習慣にし、生きるリズム感覚を共に育てる場になってほしいと思っています。

本を出版して以来、「トランジション」という言葉を使ってきましたが、そこに自然の感覚を大事にするというニュアンスを足し、「うつろい」という言葉を使うようになりました。

「トランジション」とは、一切が変化し続けるこの世界を生きる、私たち一人一人の内面に起きる変化のこと。かつて今よりもっと社会の変化が緩やかだった時代にも、進学、就職、結婚、子どもの誕生・・・といった人生の外的な変化が起こるたびに、人は自分が何者であるかを確認し、内面的な変化すなわちトランジションを経験してきました。

今後の世界で重要になる「うつろいの感覚」というトランジション。参加方法については、Twitter等で告知していきます💡


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