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作りたいものが増えた。

僕は、毒をつくる。
そして、毒を売ろうと思う。


毒はあくまで比喩に過ぎなくて、


三浦祥敬という人間の中に発生している

これは言ってはいけないんじゃないか?
こんなことを考えてはダメなのに
 
という思いや欲望を

形にしていこうと思った。
そして、それを「商品」として扱う。

商品なので、対価を受け取る。
毒なので、お布施はしない。

僕は、この1年以上、お布施という行為を探究してきた。

その探究の結果は本に書いて、
出来上がった本は最終的にお布施しようと思っている。

つまり、値をつけるということから降り、
本という物を手放して流通させていく。

「売る」という行為から降り続けるということをするのが、
OFUSE Experiment の流れでもあったんだ。

しかし、今回、「毒」を売るということを決めたことにより、
OFUSE Experiment は進化する。

いや、自らのアイデンティティを破綻させてしまう。

圧倒的な「失敗」や「やらかし」や「お布施に関するダークサイドな思索」だと思っていることを毒として開示したい。

正直、商品としての値をつけるが読まれたくない。
読まれたくないから、値段は高めにする。

毒は高いのだ。

ただし毒なのだから、売れなくても全く問題はない。
より一層、赤裸々に書く。毒を吐くぜ。

毒は流通させすぎると、それでくらってしまうかもしれないから、
本当に望む人たちだけに届けばよい。

毒を売ることになるのは、ずいぶん先を想定している。
3種類の本に、毒の宣伝を書く。

本をお布施する時に、
「へっへっへ、毒も扱ってますぜ、旦那」と、
裏ルートの商いを持ちかけるのだ。

「ここからは有料になるんですがね....」

そう話すことができる時、
名刺に書く肩書きは何にしようか。
考えるのが楽しみだ。

アイデア出しならぬ、
毒出しをすることを日課にしよう。

毒を出すことは、
商品をつくるための素材を生むことである。

困ったら、他の人にインタビューして、毒を収集することもできる。

素材の調達には事欠かない。
素晴らしい世界だ。

さぁ、毒の誕生をお祝いしよう。

毒というエンターテイメントの始まりだ。

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