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歌を歌うことは

"人の役に立ちたい"
人として自然に湧き上がる想いである。
しかし、一般的な社会生活が非常に下手くそな自分にとっては
難易度が高く、実感できる機会はそう多くはない。


人の役に立ちたい一方で
どうすれば人が喜ぶのか、どうすれば売れるのか
"だけ"を考えているものには全く魅力を感じない。
人間の表面的な欲求を利用し、市場原理の中で価値という幻想を見せているようにしか見えない。
正直に言ってしまえば反吐が出る。


そんなことより、子供たちが誰にも分からないような意味不明な言葉に
どハマりして連呼したり
飛び跳ねている方がよっぽど魅了的に映る。


誰にも理解されず、求められなくとも
自分の興味を曲げずに生き抜くような人生に感銘を受ける。
映画・イミテーションゲームは何度観ても号泣できる。


しかしながら
大人の自分にとって、意味不明な言葉を連呼し続けて生きながらえるのは
至難の業だ。


僕の尊敬する人物の一人に、星野源という素晴らしい表現者がいる。
日本で知らない人はいないだろう。
彼の音楽へのこだわりは尋常ではない。
かなりマニアックな音楽にも影響を受けている。
軽薄になりがちなポップミュージックの世界の中で
そのこだわりを貫き続けているのだ。

にもかかわらず、彼の音楽は子供から大人まで人気がある。
難しいことを考えずとも楽しむ事ができる。
自分の"好き"を貫きながらも、より多くの人に届けるという
非常に優れたバランス感覚の持ち主だ。



「創造」という曲の歌詞から引用させて貰えば

"あぶれては はみ出した 世をずらせば真ん中"

である。




もう一人、尊敬する人物の言葉を借りれば

「ポップミュージックを創ることは、ひたすら中間・真ん中を探し当てる行為である」

と米津玄師は言っている。




排他的で自己中心的な生き方ではなく、他人に迎合する人生でもない。
そのどちらも両立した上で調和を図るという姿勢は
心の底からかっこいいと感じる。
自分自身を生きた"結果"として多くの人々に影響を与えているというのは
とても美しいことだ。



そんなことを考えながら自分も歌を歌ってみる。
尊敬する表現者たちとは程遠い姿だ。



昔から音楽をたくさん聞いてきたが
その根底に"美しき独りよがり"を抱えた歌たちに僕は救われてきたのだ。





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