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「○○が難しい」と二言目に言われ、じわじわ気になる話の入口

こんなことを書いておりました。

そもそも、スタート地点に立つのも、それすらも無理ですという人がいます。絶対的拒絶、とでもいうのか。

要するに、大雑把にまとめてしまえば、仕事とのミスマッチの問題。それも、かなりご本人の体感的に最悪の部類に入るミスマッチだったのでしょう。たとえば作業Aがあったとして、お願いしても、色々な人がフォローに入っても、一つずつ確認していっても、何故か最後に100%「どうしてもできません」となる。

いくら正統的周辺参加だよといっても、その仕事として最低限求められる専門性があります。一応は最も外周のはずの作業Aなのですが、すぐに白旗が上がります。

プロの仕事としての視点では、しょうがないというだけでは終われない領域もあります。とはいえ、その人にとってそれが「できない」段階にあるのなら、「できるようになっていく」段階にシフトしない限りは、やはり「できない」のでしょう。そこを責めても不毛です。

でも、そのように困り果てた際の、その人自身から発せられる言葉、そこに見える状況の言語化の癖…のようなものに、少しずつ違和感を覚えました。

〇〇が難しい! 難易度が高い!

何度もそういう主旨の言葉がありました。それは、周囲に助けを求める行動のつもりだとすれば、むしろ必要なのですけど。ただ、ね。

なんだか引っかかりまして。で、そこに対する考察をしてみようかなと思ってましたら……。

それ以上のまさかのトラブルが……、目下対応中ですが根が深い! なので、何ということだ! 中断でございます。この考察の続き、後日やります……。

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