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追い込み、でも楽しまないとなー

言語化の、いわゆる生みの苦しみの中にいます。

ワークショップ的な場をつくろうと思い立ってからの心の動きは、まぁ、言語化しても痛みを伴うまでのことはないので、よいのです。

もちろんそこでも、リフレクションで気づかされ「もっと、こうしておけば」と思ったりすることはありますけども。

そもそも、なんてワークショップ的な場を、つくってみたくなったのか。そちらを言語化するのはなかなか大変です。

自分の心の中で、多少は痛いところに触れてしまう予感。でも進まなくては。

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