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「人」の心が思わず動くとき

「人」とか書いてますが、私の話です。
心が動くことがありました。予想外の方向に。

元々は、非常に実際的な問題として、私が知っていないと困る情報が、いわゆる伝言ゲームで全然手元に来ないじゃないか、と困り果てていて。
正攻法で、襟を正してもらえまいかとアプローチを繰り返してみたものの、恐ろしく理屈が通用せず。最後は恐ろしさと可笑しさを同時にを覚える始末。

そこで、少し腕力勝負で、ある意味大将首をいきなり落としに行くような、桶狭間的アプローチをして、情報をもぎ取ってきました。満身創痍です。
(本当は、それこそワークショップデザイナーらしく、穏便にしめやかに攻略したかったんですが…)

そんなこんなでどうにか手にした情報を見ていたら。
その羅列から、背後にある文脈に、どういう意味があるのか。
そういう俯瞰的な視点のメタ情報の形が、突然くっきり見えてきたのです。

あれ? 例えば私が去年頑張って結果を出したアレが、この背後に作用してたりしない? 私、考えようによっては、今巡り巡るつながりのきっかけを作ったりしてない? ちょっとだけど、風を巻き起こしてない?

そうひとたび気づいたら。
何か、情報自体から得られたことよりも、その気づきの方が、本当に私がほしかったものなのかもしれないな、と思えてきたわけで。

傍から見たら、多分私はかなり執念深く敵陣深くに斬り込んだのですが、何故そこまでしなければいけなかったのか、本当の意味が手にした瞬間に分かったのです。

その心の動きに、驚いています。斬り込んだ時は多少の直観と本能が先行しているから、後から追いついた理性は、まるで第三者の成したことのようにも思えて。

「人」の心ってこんな風に動くときがあるんだ、と。
自分を見て、どこか遠くから不思議に思いました。

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