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「言葉にする」という言葉の意味が一人ひとり違うということ

最近、そういえばよく使ってたな、という言葉があります。

言語化してみてください。
手を動かして、文字に起こしてみてください。
見えるところにアウトプットしてください。
それを別の言い方で、言い換えてみてください。
例えばどんなことなのか、よろしければ具体的に教えてください。
わかりきってると思うことでも、むしろそう思うことこそ、あえて言葉にしてみてください。

なんだか、ここのところ、毎日、マイニチ、まいにち、……何故か、毎日。根幹は同じである一筋の声掛けばかりを、しているような気がするのです。

これは私の思考の癖? いえ、もちろんそれもあるのでしょうけど。とにかく、言葉が足りなくて、チームの情報共有の在り方が血液ドロドロというのか、絶えずどこかではショートしている。

今ご縁あって関わっている人たちは、どちらかといえば、いや、多分客観的に見れば結構、チーム全体ではコミュニケーション力が高いように思うこともあります。事実、途中からチームに加わった人からは、声掛けが多くてコミュニケーションがしやすいし、雑談も活発だし、いいチームですね! という発言があったこと、何件か記憶にございます。でもね。そんなチームでも目詰まりが毎日起きています。

こう言ってはなんですが、もしこれが会話も乏しく、明らかにギスギスしてます的な人たちの集まりだったら、むしろ血液ドロドロも驚かないんですよね。そりゃそうでしょうよ、と。まだ変な納得感があるかもな、なんて思ってしまう。そんな状況だったら、そもそも冒頭のような声掛けをしようというモチベーション自体も、なくなってそうな気もしますけれど。

でも、そうではないんです。各自は協力して困難を乗り越えたいと思っている。なのに、あれれ? どうしたの? みたいな、かみ合わないやり取りが始まります。しかも意外と頻繁に。もうね「これはいったいどうしたことだ?」と言うやつですよ。

私から見ると、例えば相手を責めるとか傷つけようみたいな、言っちゃいけないことを言ってしまって問題が起きているのではないのです。言わなきゃいけないはずのことを言ってない、その積み重ねがショートを起こしているのです。

そりゃ、どんな素敵なチームでも多少は行き違いってあるのかもしれないけど、ちょっと目立つなあ…それを証拠に、毎日同じような声掛けしているなぁ…それって何でなんだ? と疑問がよぎる日々です。

一つ感じることは、言葉が足りない、じゃあきちんと言語化しよう、みたいなことを仮にチームの約束として合意したとしても、そしてチームの各自がそれぞれに自分事として強い意志で取り組んでも、明日から万事メデタシになったりしないんだろうなってこと。そしてその背景には、「言葉にする」という言葉の意味が一人ひとり違うということがある。

毎日、「十分対話ができてないから、もっと皆と話をしなくちゃ、聴かなくちゃ」って口癖のように言っているのだけど、実際には情報共有のほとんどをその場限りの、口頭伝達のみで済ましてしまい、文字に起こさないために伝達不足が解消しきれない人とか。

それこそ、「カイゼンしませんか」って一見声を上げてるけど、その後に周りの人の話を「聴く」ところが、何故かうまくできてなくて、実際には空回りしてる人とか。

思い思いに良かれと思って、自分のやり方で言葉にすることだけでは不十分で。その自分のやり方が、背後に有る考え方が、ただ自分の当たり前からくるやり方でしかない、ということを強く意識しないと。

うまく行かないなら、やり方を変えてみる、そもそも別のやり方もあると気づく、そしてその別のやり方が当たり前の人が、隣りにいるかもしれないと気づくこと。

そっちのほうが、実は大切だとしたら、今積み重ねている言葉に続く二言目には、本当は何を言えばよいのかなぁ……?

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