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実は私の最初の予測通りだった残酷なひとつの経過

色々課題を抱えていた、一時はファシリテーター的な活動にも挑戦しようとしていた方がいらっしゃったのですけどね…。

この方は、ううん…ちょっと…顛末を詳しく書くのは憚られるような状態というのか…まぁ、具体的にチームの他の人の気持ちを傷つける言動をしてしまったり、ファシリテーターだったこととは直接関係ないその方の責務というか、仕事面でも、色々と問題のある行動、振る舞いを見せるようになってしまいました。

まだ、解決もしていないので、結果というよりは、経過。でも、この経過を見て、ちょっと考え込んてしまいます。

そりゃ、そもそも、ファシリテーターという言葉自体は、万能にして普遍のスーパー賢者とかを指すものではないし。とんな学びに取り組んでも、最後はその人だし。

それは、そうだよなと思うんですけども…。でもね。私も、この方が以前、どういう枠組みの中でファシリテーションを学ぶ機会を頂いていたのかは、多少は輪郭を知っていて。

何というか、真摯に…いや、何かその表現は違うか? でも、無心でというか、素直にと言うのか、自分なりの学ぶ姿勢を持って取り組んでいたのなら、結構良い機会を与えられていたはずじゃないのかな? と思うのです。

にもかかわらず、今チームの誰よりも、この方にはファシリテーターのマインドがありません。機会を頂いて、他の人より、例えば多様性とか、チームとは何かとか、学ぶきっかけを贅沢に与えられていたはずなんですけどもね。

最初の頃は、失敗はあっても、細かい配慮などがイマイチな場面はあっても、少なくともファシリテーションに意欲的には取り組んでいるように見えました。それ以外の仕事面でも、能力とかは把握してませんでしたが少なくとも善良に普通に取り組むことはできる方のように見えたのです。

なので、なんでここまでになっちゃったのかな? とも思いはするのですが、その一方で。

根拠なんか、説明できる形では拾えなかったけど、実はその方の取り組みを拝見した最初から、いつかここまで酷くはなくても、ある程度こんな感じになるかもしれないと、脳内で警鐘が鳴ってたんです。

私のそれこそ自明性からくる決めつけで鳴っているのかもしれない、それでは良くないなと思って、棚上げしてできるだけ良い面を見ようと、観察していただけで。結果的に予想通りというか、それ以上の経過にいる今です。

こと、ここに至っては。当時の脳内の警鐘が何をもって鳴り響いていたのか? 改めてふりかえり直したほうが良いかもと思い始めています。それは、表層的にファシリテーションを学ぶことの限界について、もしかしたら一つのヒントになるのかもなぁ。

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