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草の根的な場づくりを、荒野の片隅で

そろそろ地に足の着いた、場づくりの話ができるようになりたい。
取り巻く環境に、ワークショップをどう生かしていくか。これが問題だ…。

ワークショップがどうとか、そういう次元じゃない

自分の所属する組織をふと見渡すと、ワークショップなんてものは、一見根付いてなさそうです。「わーくしょっぷ? 何それ、おいしいの?」状態。

しかし、よく見ると、ナゾの「○○会議」は乱立しています。曖昧で堅苦しい、退屈な名前。わざとつまらなくしているとしか思えない、がっかりトホホな中身。しかもそいつは、定期的に、ズルズル開催されていたりする。

なんというか…ワークショップ以前の問題もあって。アジェンダが出ないとか、議事録を書かないとか、書いても5W1Hすら押さえられてないとかね。旧態依然としたビジネスのフレームで見たとしても、お話にならない会議…地面ひび割れて、カッサカサです。

ただ、建前上掲げられるテーマを見ると、「本当は場づくりの取り組みをやりたいんだろうなぁ…」と感じなくもないのが不思議で。何がどうしてこうなるんだ。世の中には、本当に不思議なことがあるんですね。

名乗らずに始める! ひとり草の根運動

つまり、草の根運動のし甲斐があるということですよね。ただひたすらの「壁だらけの荒野」! うむ、荒々しいぞ!

こういうところで、いきなり『青いバラが咲き誇る風景』みたいなものをドドンと語ってしまうと「なんか浮世離れしたハオラーンみたいな奴が来たな、いや、青いバラとかいいから水汲んで来いよ」としか思ってもらえません。だから、まずは、小さな小さな花の種を、苗を、植えていくのです。

「こういう花が咲くんだ」とか、言葉で丁寧に説明するよりも、ただただ無我夢中で植えている姿をさらけだして見せる。最初は、それを不思議そうに遠巻きに見てもらうくらいから始めるのがよい気がします。「よくわからないけど、楽しそうだからやってみよっかな」とウズウズ動き出す『二人目』が現れるまで、辛抱強く。

WSD34期の受講中も、少しずつ、周囲で「こっそりやってみる」取り組みをしていたのです。ささやかだけど。
いわゆる「ワークショップって言葉は使ってないけど、ワークショップ的な場づくりをしてしまう」という、ひとり草の根運動です。

「会議って楽しい! 私もやってみたい!」

『二人目』なのかもしれない、少しワクワクした声が聞こえてきました。

残念ながら、荒野は広くて険しくて、すぐに私の目に見えるような何かにつながるわけではないのです。色々なものが邪魔をしている。でも、土をいじる香りだけは、風に乗って伝わってきました。

どんな色でもよいから、最後まで私の目には映らなくても構わないから、その土から何かが芽吹き、花開くとよいなと思います。

WSD34期、最終課題レポートは、そのワクワクした声に向けて書きました。
でも、本人に直接伝えることはありません。たぶん。

本当に伝わる運命なら、いつか巡り巡って、思いの欠片が届くでしょう。

「楽しい」場をつくる、そのためにも自分が楽しく

「その時間にどんな意味が?」「利益にどうつながるのか」「スキルアップがほにゃらら」「費用対効果云々」は、脳の片隅にガッチリしまっておく。そういう「正論」で場がつくれた記憶がない。そんなもの後付けでいい。

「あれ? 楽しい? なんで? でも楽しい!」
本能でそう感じてもらえる時間を、1秒でもつくるところから始めてゆきたいと思います。そして、それなら既に始めています!

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