準備は踊る、それでも大抵、場はさらに踊りだす
怒涛の追い上げ、直前まで目いっぱい検討して、考えて考えてでも時間とも戦いながら何かを組み立ててゆく一連の流れと、学びの仕掛けをデザインしてゆく。
…そんなを準備を、今までとは違う立ち位置で目の当たりにして、自分で準備するのとはまったく違う衝撃を受けています。
自分で実践した場合の進化版でも劣化版でもない。自分ひとりで生み出すものの延長線には重ならない。次元の違う何か。「私」ではない誰かが作り出すそれだけで、その準備は別世界でした。
なんだろうな…、仲間と一緒に、でも自分もあくまでも主催側の一人として組み立てるチームゆえのワクワクとも、ほんの少し(でも大きな少し)違うものがありました。
「自分も参加者になれる」場を創るというのは、究極で、格別で、世界がブワーッと広がってゆく感じ。それもきっと宇宙が広がるみたいに、とんでもない速さで広がってゆく感覚。私にも、もうどうすることも出来ない広がり。そのきっかけを、私も生み出すことができる。
最初はささやかで。結構大変で、地道で。なんだかなぁで。
でもいざ、その結果、動き出した時に、そこで起きることに比べれば。
そんなの、本当になんてことない努力だ。
こんなにゾクゾクすることはなかなかない。
ただ、すぐ隣に、とにかく自分ではない誰かがいて、その人たちは皆自分とは全く違う脳の持ち主で、すべてが、世界とずれたり重なり合ったりしているというのは、とてつもない可能性なんだよなと。
ただ、準備を見ていただけで、いきなり腹落ちしてしまったのです。
普段気付いていないだけで。
世界は、もうただあるだけで、とっくに奇跡まみれなのです。
楽しみだ―!
どんな仕上がりだとしても、それが楽しみだ―!
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