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今日こそ楽しい話をしたいけど、また脳が熱暴走してる

落ち込む隙間に小刻みに地道なチャレンジを繰り返していると、唐突に、あ、これ今のタイミングなら前に行けるんじゃない? みたいな瞬間がふいに来ます。やはり腐らずにメラメラとヌラヌラと、自分の心が動くモノを見据えてゆきたいものです。

変化を嫌がる…というよりも、怖れる周りの人々のことを、時々というか、結構頻繁に考えてしまっているという自覚はあって。でも、昨日は特に強く実感する出来事があったから、囚われたくないと思っているのに、また改めて考えちゃったわけです。

そして今日、他の人とお話していたら、まさに「変化することが怖い」というフレーズが、その人からポンッと出てきて。タイミング的に、心により引っ掛かり、あれれ? と思いました。

その人は、ふと言いました。

「たいていの人にとって、変化って怖いものなんじゃない?」

と…。

なるほど、その人にはそういう世界が見えていて、やっぱり私が見ているものとは、当たり前だけど全然違う景色であるらしい。

私は、変化することより、自分が変化しないことが怖い。ずっと変わっていきたいんです、と言葉にしてみました。

「そういうなら、あなたはそうなのかもしれないけど、私にはよく分からない…」

というような主旨のことを言われたので。

はて、そういわれると、変化しないことが怖い理由、変化したい理由?
それってなんだろう? と思って。

会話の流れもあり、とっさに、

「だって世の中もっと変化していきますよ。その中で変化しない方が、ずっと怖いじゃないですか」

って。まぁありふれた、いかにも尤もらしいことを伝えて。
それを言われたら、まぁそりゃそうだよね、とかなんとか、会話は続いたんですけど。

後から考えると、自分の発言に不思議な違和感があって。

本能的に、変化しないことがただ怖いだけだった

多分私は、世の中が変化しているから、その中で変化しないことが怖い…のではない。ゆでガエルがどうだとか、それ自体は普遍的な一つの視点ではあるのでしょうけど。

ただ、私が変化したいという思いにとって、そんな視点、実は後付けなんじゃないだろうか? という気がしてきたのです。

たとえ世の中のモードというか、ターンが明日突然変わって。
それ以降は、周りの時が、急激に穏やかにゆっくり過ぎるものになったとしたら。

そこで「じゃあ安心して、落ち着こう」とか「変化しなくていいや」って、多分私の気持ちは、そんな風には変わらないのです。
ただただ、変化が遅くなった世界に、居心地が悪くなってゆくだけなのです。

私は、周りがどうであろうと、変化しないのが怖い。変化していたい。
変化の時代だから、変化したいのではない。むしろ、変化したい人間だから、心のどこかで変化の時代が来てほしいと思っている。今その時代が来ているのは、たまたま思いと時代が、多少重なっただけ。

そう表現した方が、多分、私の本当に近いのです。

でも、だとしたら、逆も然りとなるわけで

変化することの方が怖いと思う本能を持つ人に対して、「変化の時代なんだから、変わろうとしなきゃだめだよ」みたいな理屈をぶつけるのって、実はそもそも何の意味もない、とても空虚な訴えなのではないだろうか、と思えてきました。

だって、逆を考えたら。「変化しなくていい時代なんだから、落ち着こうよ」って言われたって、多分私は無理。変化したいと思う人間が世界で私一人になったとしても、私が最後の一人になったとしても、きっとそれでも「変化したい!」って叫んでいるだろうと。そういうイメージしか浮かんでこないのですから。

変化したい、でも「変化を怖れる」人間にだけは、変化することができない。たぶんそれが、時代とか、世の中とか関係ない。私なのだと、そう思いいたりました。

そう考えると、変化を怖れる人も、そりゃ、いるし、怖れ続けるんだろうな。むしろ、変化したくない人が「変化する人」に変化するって、もうそれはどんな入れ子構造なんだろうとか、考えると…。

人は変われる、という言葉にも、変われないという言葉にも、私は矛盾せずに強い共感を覚えるし、多分それはどちらも力強い真実なんだと思います。

最後に大事なことは

そんなやりとりをしたけど、何かその後もいろいろ話して、最後はお互いありがとうございましたと言って終了しました。

何だかわからないけど、そういうことなんだよ! みたいな思いがこみ上げてくるので。

カオスに飛び込んで、気づきを得るようなワークショップ、できるようになってゆきたいものですね。

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