フルトヴェングラー

フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンの第6番。同じベルリンフィルでも、サイモンラトルのものとは随分違う。流麗さよりも、奥深さ、華麗さ、悦び、安堵、加えて気迫を感じる。ご飯や第九と比べて面白みがない曲と思っていたが、やはりベートーヴェンらしい円熟味があると知った。
フルトヴェングラーのベートーヴェンがやはりいい。7番は、彼の重みに少し疲れてフリッチャイの指揮するベルリンフィルのものを買った。余裕と麗しさを合わせ持つ音が気に入ったのだが、何度も聞きたくなるのはむしろ、フルトヴェングラーの7番だった。リズミカルな中にも、デモーニッシュな深さと迫力、スピリット、物語性を感じて、病みつきになる。
戦中戦後のドイツでの録音であるがゆえ、歴史的な価値もある。毎晩のように当時の音を耳元で再生していると、自分が戦渦の煙漂うベルリンにいるような気分になってくる。
明日にも命を失うかもしれぬ環境で、勇ましい独裁者を前に彼らはどんな気持ちで演奏していたのか。張り詰めるような緊張と、平和への祈り、家族への想いなどが充満していたのではないか。
恐怖は芸術の必要条件ではないし、戦争や偏ったイデオロギーは、芸術を愛する多くの人や作品を傷つけ、犠牲にした。それでも一方で、後の世でも人の心を震わせるような作品を生むきっかけを与えることがあった。それはきっと、生への強い想い、祈りが常にそこにあったからだろう。戦時ではないことに感謝しつつ、生の有難みを噛み締めながら、平和な世界で芸術を生み、味わいたいと強く思う。

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