Web3はマルクスの思想を継いでいるのか(いない)への雑考

https://note.com/nakaji_memo/n/nec0d4963d4d8?sub_rt=share_b

これを書くことになったきっかけはナカジさんのこちらのnote。直接の面識はないですが、自分の考えているところのど真ん中だったので、勘違いやそれ故の失礼も承知で書きます。
(もしナカジさんご本人が見ることがあったら、諸々ご容赦いただけるとありがたいです。)

そして、雑考です。勢いを大事にしたので、あまり綺麗じゃないし読みにくいかもしれません。

ざっくりと思っていること、結論(なのか)

落合陽一さんの計算機としての自然みたいな概念と、Web3が実現するマルキシズムとか、ある種のアソシエーションみたいなところはすごく自然に合流する概念であり、そこにAIは必要なコンポーネントとして確実にいる。というのが僕が今持っている結論。

前提1: 「資本を撃て。」を大きく捉えすぎない。

これは、純然たるマルキシストからしたら反対されるかもしれないが、資本主義の完全なる打倒というのは、本来の目的からすればそこまで大事ではないのではないかと思っている。(言うまでもなく僕はマルクスから派生したアナーキストとかの文脈が強い。デイビッドグレーバーとか。そして、別に「資本を撃て。」とも「国家を撃て。」とも言うつもりもない。)
結局僕にとって彼が撃ちたかったのは、格差であり疎外なんじゃないかと思っている。

前提2:資本の力は偉大である。

資本の力が偉大なのは、資本関係によって本来存在しない利害関係を生み出すことである。もちろん、それは対立する時もあればそうじゃない時もある。ただ、戦争の和平に最後まで尽力したのがロスチャイルドの人間で会ったことや、政治競争と違って市場競争のみが新たなパイを創出するというフリードマンのアイデアを頼みにするんであれば、資本関係は人と人を繋ぐし、positive sumへの力になる。(ここはいろいろ反論があるのはわかるし、正直僕も完全に腹落ちしているかと言われるとわからない。)

DAOの可能性

僕がDAOに見出す可能性は、ステークホルダーの多重性、多元性である。
別にこんなものはDAOじゃなくてもいいし、ブロックチェーンを使う必要なんてない。強い意志を持って反対する政策を否決し、あらゆる党派対立を乗り越えながら、各々の主体が正しいと思える政治的判断を希求できるような民主主義が実現できているなら、ブロックチェーンなんて使わなくていい。
ただ、現実どこの国でも起きている問題は、Political cleavage(政治的亀裂、分断)である。多重性、多元性のある民主主義があればそんなことあり得ない。確かに一つの論点においてはそんなこともあるかもしれないが、実態はそんなもんじゃない。多くの重要な論点に対して、右と左でぱっくりいってる状況。つまり、この点に賛成か反対かなんて議論じゃなくて、自分は右なのか左なのかを問われてしまっている。まあ、アメリカ見てればそれはそうだし、ヨーロッパも中央-北と南西、東で結構ぱっくりいってる。

ただ、DAOを見ていると複数の組織が複雑に入れ込みながら意思決定権を行使している。AAVEのforumを見れば、ほぼAAVEのcore teamみたいな集団と、外部からリスク分析をする集団がいて、それぞれが投票権を持っている。もはや何の貢献もしてない集団もいるし、これからはそれらを監視する役割に集団も出てくる。それらに対して個人で自分自身で分析していろいろ投票する人もいるだろうし、自分の選好に応じてよしなに意思決定してくれる主体も出てくると思う。もはや直接民主制とか間接民主制とかすらどっちでもいいんだと思う。好きに選べばいい。

で、普通の人間集団であれば許容不可能な複雑性を許容できるのは、おそらく資本の結びつきの影響が大きい。

もっと現実に近づけた言い方をするのであれば、以下の全く異なる3種類の人々が協力してスムーズに意思決定できるのがDAOである。
- 自分で意思決定したい人
- 人に意思決定して欲しい人
- 意思決定という行為に何らかの形で貢献したい人
みたいなことだろうか。

DAOと格差

言うまでもなくDAOは、別にコミュニズムのような純然たる組織を作るには至っていない。そして、前提1に書いた通り格差や疎外を減らすことを目的にするんであれば、そこは重要ではないと言える。

上で述べたようなDAOの可能性において重要なのは、資本によって人が結びついていること以上に、あらゆる階層の主体が自分の意志を反映する手段を持っているということである。うまく言えないが、これは今の民主主義を圧倒的に改善する可能性を持っていると思う。

上で述べたようなDAOという組織が持つコーディネーション能力があり、それらのDAOは相互に複雑に噛み合わさることが可能である。DAOの意思決定に参画するのは、DAOでもスタートアップでも、カリスマ的個人でも何でもいいんだから。

今はまだまだといったところだが、多分ここのマネーレゴならぬDAO レゴ感が出てくると、マルクスが言うような民衆が立ち上がった状態になるんじゃなかろうか。
もちろんそれは、株主-経営-労働組合-労働者なんて単純な構造ではないだろうけど、会社やあらゆる組織の意思決定に一個人が影響をもたらすことのできるアプローチは格段に増えるはず。つまり、アソシエーションの実現か、それに近い何かを見ることになる。

なめ敵とかPluralityとか言って盛り上がっているのは、これに近い文脈だと僕は理解している。

資本の格差について

ただ、もちろんここで資本なき個人が集まっても意思決定に影響がないのじゃないかみたいな反論はあるだろうし、それにはうなづける。確かに資本じゃない何かの方がいい。けど、資本よりも複雑なコーディネーションを可能にする何かを僕は知らないし、多分世界はまだそれを見つけられていない。だったら、資本で繋がりながら、資本による格差の肥大化をどう抑えるかっていう議論をすべきかなと思う。その意味ではQuadratic Votingとかには期待している。。


DAOが実現可能にする交換様式について

ここまで書いて今更ながら、別にDAOが互酬性を強化するとは全く思ってないし、だからマルクスとは相容れないのだ!と言われたら、マルクスをそう解釈するならそうですね。としか言えない。
ただ、複雑な資本関係を構築しながらスムーズな意思決定メカニズムを作る過程で、互酬とも再分配とも等価交換とも違う何かが入ってきそうな感じはする。ある意味再分配なのかもしれないが。まあ柄谷のいう交換様式Dっぽい何かを各々がしばらく探し求めるしかない。僕は性善説ではないので、純粋な意味では彼の交換様式Dそのもののを追求しているという意図はないが。

ブロックチェーンであるべき?

上で述べてきたように、DAOは資本の結びつきの力を利用して複雑なコーディネーションを可能にする統治技術である。
で、多分それはブロックチェーンの方が普通に相性がいい。極端な話、例えば日中韓で極東アジアの諸問題に関する問題解決を行おうとしたときに、transparancyがない状況での議決というのは誰も受け付けないだろうなと思う。
複雑にあらゆる主体が入り組む分、そこの透明性、正当性がきちんと担保されるには、やっぱりブロックチェーンはいいよなと思う。

なぜパブリックブロックチェーン?

結論、世の中で言われているブロックチェーンであるべき論のほとんどは、その特定の課題解決だけを考えたら、ブロックチェーンを使う必要性なんて一ミリもないことが多いと思う。
ただ、確実に言えるのは将来的に莫大な資本が関わる重要な意思決定がパブリックブロックチェーンを利用して行われる可能性は高いと思うし、もしそこに自分たちの組織として何らかの貢献をしていきたいなら、パブリックブロックチェーンか、それに近い何かの方が何かと勝手がいいだろう程度のこと。単純に市場としても繋がっていた方が効率がいいだろうとも思う。
言ってしまえばそれだけではあるし、だから多くの人にとってWeb3に取り組みづらいのも頷ける。もっと言えば、別にユーザー体験の次元ではweb2とweb3には差はほとんどないわけで。

ただ、より成熟したマーケット、エコシステムに関わり、そこに貢献したりそこの影響を受けたりすると言うのは、一般に閉じた世界よりも効率がいいだろうなと思う。もちろん例外はあるが。


終わりに

ずいぶん勢いで書いてしまったし、まだうまく整理がついていないが、考えていることの断片は少なくともここには見えていると思う。

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