くりこみ群とは

ひと昔前、テレビというものはブラウン管に映っていた。見たこともないという人もいるかもしれない。大きなフラスコを横にしたようなもので、フラスコの口のあたりに電子を打ち出す電極があり、フラスコの底に向かって電子を飛ばす。電子が走る途中に電磁石を置いて、その走る向きをすばやく変えられるようにしておく。電子がフラスコの底を端から端までほうきで掃くように順に叩いていくように素早く動かせば、画面を端から順番に光らせることができる。あとは、場所に応じて電子を出したり止めたりすれば画面に絵を描けるわけだ。

ただ、電子に色がついているわけではないので、このままではカラーテレビはできない。色を出すためのトリックはフラスコの底のほうにある。画面を細かく見ると、赤青緑の小さな区分けがあるのがわかる。色の違うところに順番に強さを調節しながら電子を当てれば、うまく色がまざってカラーになる。なんと精妙な仕掛けではないか。こんな機械を作った人には脱帽するほかない。今ではすべて液晶に置き換わってしまったのが残念だ。

ブラウン管も液晶も、小さな画素を組み合わせてあたかも連続的に見えるような画面を作り出す。私がいま使っているパソコンの場合は 2560×1600 画素らしい。これだけ細かいといくら目を凝らしても個々の画素を判別できそうもない。(なにしろこっちは老眼だ。)だが、昔のブラウン管なら、近づけば一個の画素の赤青緑を見分けることができた。技術の進歩はありがたいが、体感できなくなるのは困りものでもある。

空間にも画素があるとしたら?

量子電磁力学では、電子が自分自身が作り出した電場のせいで、そのエネルギーが無限大になってしまう。静止した電子のもつエネルギーとは、つまり質量のことだ。これはごく近距離の電場のせいで起こる。1ナノメートル、0.1 ナノメートル、0.01 ナノ、とどこまでも近距離を考慮する必要があって、それらをすべて足していくと無限大になるわけだ。それだけではない。量子効果、つまり空間で勝手に対生成・対消滅を起こす電子と陽電子のせいで、電子の電荷は遠くでは見えなくなってしまう。逆に言うと、電子の電荷は無限大にしておかないといけない。

このままでは具合が悪いので、電子の波はテレビの画素のような仕切られた空間の単位であらわされたものだと考えることにしよう。心配しなくても、画素が小さければどうせ連続的な波に見える。

こうしておけば発散は起こらない。電子にとって一番近いのは隣の画素で、それよりも近いものは考えないことにしたからだ。これでめでたく電子の質量は有限、電子の電荷も有限のままでよい。実のところ、量子電磁力学という理論はこうして仕切られた空間に作られた理論だと考えて困ることは何もない。空間は連続なんだから画素みたいに区切られているのはおかしいと思うかもしれないが、とにかく画素は小さくて目には見えない、実験でも測定できないとすれば、どこにも問題はない。

この理論では、電子の質量や電荷というものは、小さな画素の中に与えられている。これを遠くから測定すると、どうしても途中の空間にいる電場や、電子陽電子対に邪魔されてその値は変わってしまう。それではややこしいので逆に考えよう。測定値はわかっているので、画素の理論がもつ質量と電荷は測定値を再現できるように決めておけばよいということになる。その値は画素の大きさによって違っていてもよく、画素を無限に小さくするなら、電荷と質量は無限大にしておかないといけない。もともとあった無限大の問題が戻ってくる。

電子の質量と電荷は、画素をどう取るかによって変わる。そう考えておけば量子電磁力学がもつ発散の問題は気にしなくてもよくなる。それだけなら、単なる安心材料ということになるが、この考え方のご利益はそれにとどまらない。ちゃんと実験で測定できる予言もあるのだ。

拡大するとどう見える?

画素で区切られた空間に作られた量子電磁力学を考えてきた。ここで重要になる前提は、この理論がちゃんと普通の電磁気学のように見えるということだ。もちろん、画素が見えないくらい遠くから眺める必要がある。前回、電磁気力は遠くから見てもやはり同じように電磁気力だという話をした。これは当たり前ではなく、「くりこみ可能な理論」がもつ性質だ。その話はまた次回にしよう。

電子をはるか遠くから見ると、その質量と電荷は決まった値をもつ。ではもっと近くから見るとどうなるだろうか。電磁気力は電磁気力のままなので、やはり同じように逆2乗則が働くはずだ。しかし、細かく見ていくとそのままではないことがわかる。ごく短距離では電子のもつ電荷は大きくなるはずだ。なぜなら、電荷を弱めるはたらきをする空間中の電子・陽電子の対生成・消滅による量子効果が減ってしまうはずだからだ。近づけば近づくほど画素上の電子のもつ素の姿が近づいてくる。近づいて見るということは、量子論ではエネルギーを上げて見ることに相当する。電子と電子の衝突を高エネルギーでやってみると、確かに電荷が大きくなることがわかる。ただし、現代の加速器で得られるエネルギーではせいぜい10%程度の増加にすぎない。しかし、それでも量子効果を実験で確認できるというのはすごいことではないか。

電子の質量と電荷は距離によって変わる。あるいは、エネルギーのスケールに応じて変わる。これが「くりこみ群」の考え方だ。量子電磁力学の発散の問題は、こういう直感的な理解で解決された。(数学的には解決とは言わないのだろう。物理学では本当の無限大や無限小まで考える必要はないから少し安心していられる。)

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