クォークォニウム?

大学で量子力学を学び始めてあらわれる最初の壁は、もしかしたら水素原子のエネルギー準位を求める問題ではないだろうか。球面調和関数とかなんとか、特殊関数を使ってようやくエネルギーが求まるのだが、青息吐息で答にたどりついたころには何の話をしていたのかを忘れてしまう始末だ。

せっかくだからどういう話だったのか思い出してみよう。電子はクーロン力によって陽子に引きつけられる。できるだけ近づくほうがエネルギー的に得をするはずなのだが、一方で電子の波動関数は空間の一か所に集中すると余分なエネルギーを必要としてしまうので、中心に集まろうとする力と広がろうとする力がバランスしたところでエネルギー最低の状態、つまり基底状態、が決まる。空間的には球形で、まんなかに山があるような分布になる。水素原子はおおよそこういう形だ。(実のところ、基底状態だけ求めるならあのややこしい特殊関数は必要ない。もっと簡単なところだけ講義でやればいいようなものだが、実験で測れるのはエネルギー準位の差なので基底状態だけでは困るのだ。)

では量子色力学ではどうなっているのだろう。実のところ、量子色力学の法則自体は量子電磁力学(つまり量子力学のことだ)と似ているので、同じことができそうに思える。違うのは、結合定数が10倍以上大きいこと。それから、結合定数が距離によって変化し、遠距離ではむやみに大きくなることだ。ではどうなるのか考えてみよう。

この問題にうってつけの例題がある。チャームクォークとその反クォークでできた束縛状態だ。チャームクォークは通常のアップやダウンクォークとくらべて重い。重いぶんだけ動きにくく、したがって波動関数は拡がりにくい。するとチャームクォークは中心近くに集まる傾向ができ、そこでは結合定数が比較的小さくなるので、この束縛状態は水素原子と似たものになる。波動関数は中心近くに集まった球形のかたまりだ。チャームクォークが最初に見つかったとき、実際に実験で見つかったのはこの束縛状態だった。J/ψ (ジェイプサイと読む)粒子と呼ばれるこの状態は非常に明確な信号をつくる。その後の実験で、さらにその励起状態も見つかっている。チャーモニウムと呼ばれるこれらの状態は、水素原子の励起状態と同様に回転や振動が加わった状態と解釈でき、量子力学の計算に準じる比較的簡単な計算で予言することもできる。

チャームクォークよりも重いボトムクォークというのもあるというのをご存知だろうか。さらに重いせいで水素原子との対応はさらによくなる。ボトムクォークと反ボトムクォークでできた状態はボトモニウムと呼ばれ、励起状態のエネルギー準位も含めて結構いい予言をすることができる。

何だ、量子色力学と言えどもそんなに難しくないのか、と思われるかもしれない。この場合は実際そのとおりだ。問題は本命の軽いクォーク(アップクォーク、ダウンクォーク)にある。これらは軽いおかげで波動関数が拡がりやすい。拡がってクォークと反クォークがお互いに離れると、量子色力学に特有の極端に強い結合定数が問題になってくる。それだけではない、前回まで何度もでてきた自己増殖した色電場が、単に結合定数を強くするだけでは表せないような効果を及ぼすことも考えられる。さらにまずいことに、軽いクォークは、簡単にクォーク・反クォークの対生成・消滅を起こせる(それに必要なエネルギーが小さいせいだ)。そうすると、もともとはクォーク1個と反クォーク1個の二体問題だと思っていたものが、4体問題、あるいはもっと多くの多体問題に化けてしまう。そうすると水素原子の問題とは似ても似つかないややこしい問題になってお手上げだ。そういうわけで、量子色力学の束縛状態の問題を理論的に扱うのは非常にやっかいな問題になる。現在でも信頼できる計算はシミュレーションによるもの以外は存在しない。

チャーモニウムとボトモニウムをまとめてクォーコニウム(あるいはクォークォニウム?)と呼ぶこともある。量子色力学のなかでも例外的に単純なこれらの状態だが、それでも伏兵は潜んでいる。例えばこれらに軽いクォークと反クォークがくっついて4つのクォークでできた状態などが存在するのだ。そういうのがあってはいけない理由は何もないのだが、水素原子の計算のような簡単な計算で扱えないためにエキゾチック(変わり種)粒子と呼ばれている。やはり量子色力学は面倒なのだ。

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