CP対称性の破れ:何が悪いって名前が悪い

本当は強い相互作用について語るはずだったのに、弱い相互作用の話に脱線してしばらくたってしまった。せっかくだからもう少しだけ。だって、パリティの破れの話をしてCP対称性の破れを飛ばすわけにはいかない。

弱い相互作用は、どういうわけか左巻きに回転する粒子だけにはたらく。だから右巻きと左巻きは本来別の粒子と考えるべきだというをした。つまり、自然界は右と左を最初から区別している。だが、これまで大事な話を飛ばしてきた。実は粒子と対をなす反粒子に対しては、弱い相互作用は右巻きだけにはたらく。あちらの世界では右と左が逆になっているようなのだ。だから2つの鏡を組み合わせれば元に戻る。つまり、右と左を入れ替える鏡 "P"(パリティ)、それに粒子と反粒子を入れ替える鏡 "C"(荷電共役)。合わせて "CP" 。この2つを組み合わせれば、弱い相互作用はやはり同じようにはたらくように見える。

右巻きと左巻きは、とにかく粒子の種類が違っていると考えればよい。さらに相対論を考えると、「右巻き粒子と左巻き反粒子」「左巻き粒子と右巻き反粒子」がセットになっていることがわかるので、"C" と"P" の組み合わせで元に戻るのはそれほど不思議なことではない。弱い相互作用はこの2セットのうちの一方「左巻き粒子と右巻き反粒子」だけにはたらくわけだ。

問題はここからだ。実験結果をよく調べてみると、左巻き粒子と右巻き反粒子にはたらく弱い力はわずかに違っていることがわかったのだ。これはパリティの破れのような派手な話ではない。むしろ小さな問題なのだが、それでも何かおかしなことが起こっているに違いない。どういうことか。

右巻きと左巻きのことは忘れよう。とにかく粒子と反粒子は違っているように見える(電荷を逆にするとかいう当たり前の違いを取り除いたあとで)。反粒子というのは、時間を逆行する粒子と解釈することもできるので、これはむしろ時間を逆回ししたときに弱い相互作用の法則が少しだけ異なっていることを意味する。物理法則は時間を逆回しにしても変わらないと思われがちで、実際それはほとんど正しいのだが、こと弱い相互作用に関してはそうなっていない。どうも妙な話だ。

量子力学を知っている人にとっては、時間発展というのは波動関数の複素位相の回転だというのがわかるだろう。エネルギーに応じて位相が回転する。時間を逆行させると回転の向きが変わる。それだけならいいが、この対称性の破れは、それだけではすまないことを意味する。波動関数の位相だけでなく、絶対値が変わっていくような。つまり、エネルギーが複素数の値になるような、そういう変なことが起こっていないといけない。

エネルギー(あるいはハミルトニアン)が複素数になる。それを実現するやり方を示したのが小林益川理論だ。波動関数の固有の位相に吸収できないような複素位相を残すには3世代のクォークを必要とする。そのこと自体は3×3の複素行列の性質でしかないのだが、こういう微妙なやり方で対称性の破れが実現しているというのはマジックのようにも感じる。

やれやれ。こういうのを数式なしで説明するのはやはり無理だった。ここで伝えたいことはただ一つ。CP対称性の破れとは、粒子と反粒子の間の法則の違いのこと。CP とかいう記号で呼ぶと意味不明だが、「粒子・反粒子対称性の破れ」ならもう少し気持ちが伝わらないだろうか。宇宙には反粒子は存在しないんだから、そんな対称性が破れていても当たり前だと思われるだろう。むしろ、これがわずかにしか、しかも微妙な形でしか破れていないことが問題だと言っていい。おかげで宇宙に反粒子がなくなってしまった理由をうまく説明できないのだから。

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