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公共性に向かう道

 さいたま国際芸術祭の公演、「指揮者が出てきたら拍手をしてください」(倉田翠 演出・構成)を観た。
*以降「指揮者が…」と略す。

 「指揮者が…」は、18人のかつてバレエをやっていた人(*倉田翠/ハラサオリを含むと20人)が、演者となった舞台である。
 演者の過去の思い出や実生活と、かつてバレエによって訓練された身体の動き(バレエの動きだったり、全く違う動きだったり)とが舞台上や客席の一部などで展開された。最後には倉田翠(ハラサオリ?)自身のバレエに対する思いと身体が表現され、幕が下りた。

*倉田翠とハラサオリは同一人物?だと思うのだが、別の名前、別の身体として舞台上にあり、劇中に二人の間でジャケットが渡されることにより、なんらかのバトンタッチがあったと思われる。が、そのことに気づいたのが劇の後半であったため、私はその区分を明確に判断できていない。よって以降は、倉田/ハラと表記する。

 見終えた後、つかみどころのない不思議な感覚を持った。虚実入り混じったような、あの時間は一体なんだったのだろう。
 私は、バレエをやったことも見たこともないし、そもそも演劇(身体表現)だってこの数年の間に見始めた程度である。私が拍手をするタイミングや笑うタイミングが全くズレていた(バレエ、演劇どちらの観劇の際の作法もわからないから?)こともあって、全く関係のない場所に紛れ込んでしまった/居合わせてしまったような疎外感もあった。

 今回は、「指揮者が…」が持つ複雑さと芸術祭におけるこの作品の意味について、感想として書いてみようと思う。

 改めてになるが、「指揮者が…」は、バレエを辞めた人を対象に演者の公募が行われており、その公募の結果として選ばれた18人が出演しているという前提がある。この前提からすると、劇中にあらわれる演者それぞれの過去(思い出)や現状(仕事や生活)の表現(発話、字幕、身体など)については(演出がされているとしても)彼/彼女らの現実なのだろうと想像できる。
 演者の知人であればなおのこと彼/彼女らを知っているわけだから、演者の存在は、より身近で現実的なものとして認識されるはずだ。
 このような見方からすれば、「指揮者が…」は演者の現実を舞台に上げたものであり、バレエをやめた人にとってのコンプレックスや挫折、葛藤などの様々な思いや時間を共有する「バレエを巡る個々人のドキュメンタリー」として理解することができる。

 しかし、この作品へのドキュメンタリー的な理解に疑いを与えるのが、演出・構成をした倉田/ハラという存在である。倉田/ハラは、舞台に現れ、劇中で名乗りはしない(ハラへの問いかけはある)ものの、演者それぞれの時間や空間を様々な表現で飛び越えているのだが、その様子によって他の演者とは別の存在感があった。
 倉田/ハラの表現は、演者のバレエに対する思いにドキュメンタリー的なリアリティを与えるものではなく、演者が発話しているマイクを取り上げて語りを途中で遮ったり、急に楽屋(舞台の外)っぽいノリの話し方をして裏方の視点を持ち込んだりと、むしろバレエを辞めた人の表現が演出によるものであることを暴露するような振る舞いだった。

 演者が過去について語れば、「バレエを辞めた人」というドキュメンタリー的な現実の側面が前景化し、すると今度は倉田/ハラが現れて「演技をしている人」というフィクションの側面が浮き上がってくる。もしかしたら私が気づかなかっただけで、舞台の端や客席の一部や中央でも、いたるところで現実とフィクションとが押し引きしていたのかもしれない。

 ここが非常に複雑な印象を持ってしまう点(理由)でもあるのだが、これまで説明したように、「指揮者が…」は①バレエを辞めた人の過去と現在が舞台上にある(演出されてはいるが現実である)という見方と、②バレエを辞めた人の過去と現在は演劇である(演技として訓練されたフィクションである)という見方の2つが、1つの作品に対して同時に重なっている。

 しかし、混乱を生みそうな2つの側面をあえて重ねる(現実でありフィクションでもあるとことを表現する)理由や意味はどこにあったのだろうか。


 ここから先は、芸術祭において「指揮者が…」が上演されることについて私の関心に引き寄せて書いてみる。

 さて、この演劇が行われたさいたま国際芸術祭のテーマは「わたしたち/We」である。
 直接的にこのテーマに紐付けて考えるのは暴力的かもしれないが、「指揮者が…」における「わたしたち/We」とは、誰を、あるいはどのような範囲を指していたのだろうか。

 辞書を引くと「わたしたち」とは「私自身を含む集団」であり、対義語は「あなたたち」である。この定義によれば、「わたしたち」と「あなたたち」との間には明確に線が引かれている。
 冒頭で書いたように、私が「指揮者が…」を見た際に全く関係のない場所に紛れ込んでしまった/居合わせてしまったような疎外感を感じたことも、「私(たち)」と「あなたたち」との間にある種の線が引かれていたからだろう。
 その線は、私はバレエをやっていない観てもいない、演劇もそんなに観たことがないという単純なものである。

 では、この場にいた「わたしたち」が誰だったのかを考えてみると、先に述べた2つの見方に分けることができるのかもしれない。
 1つは「指揮者が…」を現実の側面から見ていた人であり、この場における「バレエを辞めた人とそのフォロワー(親や友人、支援者など)」という同質性をもつ「わたしたち」である。
 もう1つは、フィクションの側から見ていた人であり、「演劇作品(あるいは倉田)のフォロワー」という同質性をもつ「わたしたち」である。

 つまり、この作品は演者と観客によって基本的に2つの「わたしたち」によって構成されており、加えて、どちらにも所属していないと感じる私(以外にも大勢いるのではないか)=3つ目の「わたしたち」が同時に観劇し、居合わせたのだと考えることができる。
 普段は重なることが無いであろう幾つもの「わたしたち」が居合わせる場所、それは「わたしたち」という共同体の間に引かれた線を解体し、混ぜ合わせ、再構成するきっかけになりうるのではないか。

 そういえば、最近読んだ東浩紀の「訂正可能性の哲学」の中で、H・アーレントに関する議論が書かれていた。孫引きではあるが東はアーレントの一節をこのように引用している。(一応、「人間の条件」にも当たってみた)

「『公共的であるということは』公に現れるすべてのものが、あらゆる人によって見られ、聞かれ、可能な限り広く公示されることを意味する」

東浩紀「訂正可能性の哲学」2023年、113頁
ハンナ・アレント「人間の条件」志水速雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、75頁

 この言葉を通して「指揮者が…」を思い返すと、個々人の中に閉ざされていたバレエに対する様々な思いという私的なものが、作品となって現れてさまざまなわたしたちによって見られ、聞かれ、公的になっていくプロセスであったとも考えられる。


 さいたま国際芸術祭における倉田/ハラの「指揮者が出てきたら拍手をしてください」が2つの側面(現実でもありフィクションでもある)をあえて重ねて見せていたのは、各々の共同体の中に閉ざされたバラバラな「わたしたち」を公の場に作品として繰り返し(曝け)出すことによって、その関係者(演じる人、観る人など)を増やしながら、新たな「わたしたち」を作り、破棄し、再構成していくプロセスの中で開かれた「公共性」に到達しようという試みだったのではないだろうか。

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