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引用二つ(10/17の日記)

 日曜日。
 雨。

 昨日も、体の重苦しさと痛みで、ほとんど寝られず。
 明け方、トイレに立ったときに転びかけ、母を起こしてしまう。まだ暗い部屋で、母と話をする。母の実家(祖父と伯父一家が住んでいる)の近所で、野良猫にエサをやっていた女の人が、ついにそれをやめ、子猫を飼い始めたのに、その子猫を放し飼いにしているのか、実家の庭に入ってくるという話。
 私は、関係ないが、むかし読んだラカンの入門書のことを思い出して、うろおぼえで、ラカンの話をする。

 水木しげる『墓場鬼太郎 貸本マンガ復刻版』(角川文庫)を読み始める。全6巻ある。前にこのnoteでも漫画のベストワンに挙げた、私の好きな作品。
 一巻を読んで、水木しげるのマンガには「静かで、いいところだな」というセリフがよく出てくるなと思った。静かなところは、良いところなのだ。

 『富士日記』にもそんな箇所がある。中巻、昭和四十三年三月二十八日。

 そのまま富士山へ上る。二合目に「この先通行禁止」の立札があったが、ためしに三合目まで上ったら上れてしまった。三合目に、二度目の立札「通行禁止」がある。ここからは戻るつもりで樹海台で休んでいると、下ってきたスバルの助手席に乗っている女の人が「この上に素晴らしいところがあるから、行ってきなさいよ」と、興奮が押えきれないらしく、叫ぶようにすすめる。運転席の男は黙っている。
 行けるところまで行ってみよう。大沢崩れまで上ると、車が二台とまっている。「この先はチェーンつけていても怖くて行けそうもない」。車から降りている男が私に注意する。歩いて様子をみてくる。行けそうでもある。次第に道幅は狭まって、両側の雪の壁にこすれるほどだ。雪の壁は厚く層をなして二メートル近くになる。車は氷のトンネルを抜けてゆくようだ。奥庭まで行けた。陽が射して来ると氷のトンネルは水色に透きとおってみえる。雪は水色なのだ。ここから先は豪雪で閉ざされている。あとから続いて上ってきた二台の車から降りた男たちも、ぼんやりと佇ちすくんでいる。鏡の向う側へ走りぬけてしまったような気分だ。静かで冷たくて美しい。
 「もう一度来られるかしら」というと「こういうところは一度しか来られなくていいんだ。陽のあるうちに下ろう」と、主人は私を急かした。

 ちなみに、私が『富士日記』でいちばん好きな箇所は、これよりちょっと遡るが、昭和四十二年七月十九日。前日に武田家の犬のポコが死んでしまって、隣人の大岡昇平が武田夫妻をなぐさめに来るところだ。ここは、前に電車の中で読んでいたときにも、はっきり記憶に残っていた箇所。

 帰ってきて、主人とビールを飲んでいると、大岡さん御夫妻来る。
 「どうしてる? 犬が死んでいやな気分だろう。慰めにきてやったぞ」と、入ってこられる。私は奥様に貸して頂いたハタゴで機織りを教わった。
 御飯どきだったが、へんなおかずだったから、枝豆、ハム、かに、で、皆でビールだけ飲んだ。
 大岡さんは、昔から犬を始終飼っていた。で、いろんな死に目に遭ったのだ。
 大きな犬を飼っていたとき、鎖につながれていた犬が、そのまま垣根のすき間から表へ出てしまい、大きな犬だったのに石垣が高いので下まで肢が届かず、首を吊ったようになって死んでしまった。道を通りかかった御用聞きだか配達だかの男の子がみつけて報らせてくれた。「絞首刑だな。自殺というか……」
 大岡さんは、そのほかにも、犬の死に方のいろいろを話された。そして急に「おいおい。もうこの位話せばいいだろ。少しは気が休まったか」と帰り出しそうにされた。「まだまだ。もう少し」。主人と私は頼んだ。大岡さんは仕方なく、また腰かけて、思い出すようにして、もう一つ、犬の死ぬ話をして帰られた。門まで送ってゆくと、しとしととした雨。夜は、釜あげうどんを食べた。

 朝ごはん。昨日残したうなぎを家族でわけて食べる。
 食べたあと、お腹が苦しくなる。
 痛み止めのボタンを押す回数を増やす。
 昼ごはん。食卓まで動けなかったが、キウイを切ってもらい、ベッドの上で、何切れか食べた。
 さすがに寝不足が続いているので、19時くらいまでうとうとしていた。
 少し体調が良くなって、夕食は、御飯、唐揚げ、春菊の鍋。昨日のチーズケーキの残りも食べられた。はちみつがどうやってできるのか、とか、今まで遭遇した蜂の話を家族と話した。

 少し前に読んだのに、この日記に記録していなかった本。中村光夫『老いの微笑』(ちくま文庫)。
 エッセイと、いくつかの短編小説を収めた一冊だが、「老い」について語った本として、これほどすぐれた本はないのではないかと思う。
 「老い」とは何か、について、漠然とした一般論を語っているように見えて、それにとどまらない。正確な認識が、読者に、実践へすすむ力を与えてくれる。
 中村光夫の文章は、「明晰」であることのすばらしさを教えてくれる。私は少し前からフローベールを読みかけて、中断していたが、中村光夫の本を読んでその関心を取り戻した。『富士日記』と『墓場鬼太郎』を読み終えて、中村光夫とフローベールを読むことにしようと決意する。

 この本も引用しようかと思ったが、一部だけでは伝わらない気がしたので、やめておく。

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