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「捉まるまで」三読(10/16の日記)

 土曜日。
 くもり、のち、晴れ(?)、たぶん。

 昨日の夜の息苦しさ、重苦しさ、足の痛みは結局、ほとんどよくならなかった。
 あまりにも耐えがたいので、往診の先生に来てもらったが、期待していた、痛み止めによる劇的な改善はしてもらえず。ただ、前にも使っていた酸素吸入器を再び持ってきてもらった。
 機械で酸素を入れると、少しだが、息苦しさはましになる。
 体の重苦しさそのものは変わらないのだが、これはもう、慣れて、我慢するほかないだろう。昨夜は心が折れて、死にたくなり、取り乱してしまったが、それはシャワーを浴びたりして疲れすぎたせいもあるだろう。もう一つ、トイレで立てなかったこと、その夜、尿瓶を使ってしまったことも大きい。あれで、自信を失ってしまったのではないかと思う。
 今日も、何度かトイレに行ったが、なんとか自力で、手すりに掴まって立ち上がることができた。その度に、小さく快哉を叫んだ。
 医師が来るのを待つあいだ、体の重苦しさにうなりながら、寝つくこともできないので、枕元に置いてある、大岡昇平『靴の話』(集英社文庫)を手に取った。
 この本のうち「出征」「歩哨の眼について」「捉まるまで」の三つの短編を読んだ。いずれも、読み返すのは、もう3度目くらいではないか。それなのに、文章の細部が、いちいち新鮮に感じられる。なにげなく選んだ三つだが、どの作品にも自分の死を目前に意識した緊張感が満ちている。読みながら、私の息苦しさはむしろ増していったが、途中でやめられなかった。今までまったく読めていなかった細部が読めた気がする。頭は朦朧としていたが、不思議な体験だった。

 酸素を入れ始めてから、少し、うとうとすることができた。
 少し良くなったので、書きかけだった、昨日の日記を投稿した。
 夕食に、父が近所の店の出前で、うなぎを頼んでくれていた。今日は、私の誕生日なのだ。
 一人前の半分くらい食べられた。うなぎなど、前に食べたのはいつかわからないほどだが、おいしかった。
 幼なじみから「誕生日おめでとう」というLINEが来ていた。覚えていてくれたのが率直にうれしい。彼女は昔から友達の誕生日をことごとく覚えている、すごい人だった。

 印象的だったこと。医師が来たときに、猫のチョビが私の寝ているベッドの左側に座り、右側から私を診察しようとする医師に向かって、「シャーっ」と威嚇した。医師は「この子、女の子?」と聞いて、そうだと知ると、「そっか、じゃあ、彼氏を取られると思って怒ってるんだ」と言った。チョビがどこかに行ったあとも、同じことを何度も言っていた。

 このあと、妹が買ってきてくれたチーズケーキを少し食べて、寝ることになると思う。私は今日で、23歳になった。

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