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8・9月と2ヶ月、荘で過ごして【前編】

はじめに

「やっと”荘”の人間になった。今まで杏奈の相談役をやるなどして関わってはいたものの、ずっと外の人間だった。正直、外からおもいっきり俯瞰して荘全体に対してのアドバイスをしていた昔は無責任でよかった。」

これは、私が8月17日に書いた8月1日の日記を一部抜粋したものだ。青臭い文章だとか、書いている日付がおかしいとか思うところは多いが、これがひと月半前の私が書いた文章だ。

自分が怠惰なことを晒してまで、記した日を載せたのは、これが本当に8月1日の自分の想いかどうかは、分からないからだ。ちなみに、この文章が長ったらしくなっているのも、僕が怠惰なせい。本当は8月の日記と9月の日記の2本を書いてほしいと杏奈に言われたものの、9月を過ごしてしまった今の自分が持つ感情は8月末の自分の感情ではないから今更8月の日記は書けないと駄々をこねて、2ヶ月分まとめて書くからそれを分割する形で許してくれと頼んだ結果だ。三つ子の魂百までとはよく言うが、ひと月半前の失敗から何も学んでいない。第一、人間はそんなすぐには変われない。

おそらくここまでの文章、楽しんで読んでくれている荘民は豪くらいだろう。理系っぽいなーって、笑っているだろう。The Big Bang Theory の主人公で皮肉屋なLeonardが理屈っぽいSheldonに対して”Sheldon!!” って注意する時の感情に似た何かを感じていることだろう。他の読者の皆は、早くこれに慣れてほしい。

自己紹介

さて、少し遅くなったが、この文章の読者の全員が私と面識があるとも限らないので、ここで軽く自己紹介をしておく。

三島白滝公園

静岡県三島市出身。大学入学までの19年間を三島で過ごし、大学入学を機に北海道に移った25歳。職業は学生。趣味は、魚をさばくことと、寒い冬の夜に全力で厚着をして散歩をすること。将来は、究極のジェネラリストになりたい。平たく言えば、なんでもできる人。なんでなりたいかって?なんか格好いいじゃん!ここだけは急に、論理性ゼロ。こんなところもあって、荘民に受け入れられているのかなって勝手に思っている。今までの人生では、自分の興味の赴くままに、とりあえずやりたいことをやってきた。そして、興味が向いたから、みなも荘で暮らし始めた。とりあえずこんな感じ。


始まった荘での生活

僕の、みなも荘での生活は、8月1日に始まった。まだ、ミートハウスって僕らが呼んでいたころ。この日、道南木づかいプロジェクトの皆さんのご協力のもと、道南スギを使って床張りをした。自分の部屋の床をトンカチと釘を使って貼っていくのは、感慨深いものがあった。でも、この時にはまだ、住むっていう実感はあまりなかったように思う。

ミートハウス床貼り_200930

そこから2週間くらいは、ずっとバタバタしていたように思う。ちゃんと大学にも通いながら、みなもにいた時には1階の古い床をはがしたり、古い畳を捨てたり、生活に必要なものを買いそろえたり…。
その間にも、高橋家が泊まりに来たり、わらじ荘で探求イベントがあったり、“荘リンピック”があったり…、日記を見ると本当に充実していたようだ。

2日目_古い床


大きな転機

徐々に余裕ができてきたころ、今でも覚えている8月17日。桂佑くんが路上ライブをするというので、聴きに行った。純粋にすごいなって思った。格好いいなって思った。そして、自分も何かアウトプットしたいなと思った。そして、まず、できることからということでTwitterのアカウント開設と日記をつけることにした。そして、生まれたのが冒頭の文章。

ちなみに、8月17日に書いた8月17日の日記はこんな感じ↓

8/17(Mon)
「(前略) 17日間経った感想としては、本当に一瞬。これは記録しないともったいない!何より、昨年末以来、自分が見続けてきたわらじメンの成長の自分バージョンを起こせたらなと思う。“卒荘”する3月に、半年前の俺、まだまだ子供だったなって思わせる!とりま、やりきる残りの函館生活!」

やっぱり、青い。まあ、こんなノリで始まった日記。
で、毎日書いているかって?9月2日で止まっている。気が向いたらまとめて書く(笑)

ちなみに、Twitterの方はアカウントを作って、8月21日に呟き始めてから、9月16日までは毎日投稿続いたんですよ。3日も続けば、三日坊主じゃないって思っている僕にしては頑張った方でしょ!って本当に思う。

ミートハウス(仮)から「みなも荘」に

Twitter投稿を始めて1週間ほどが経った、8月29日。
ついにミートハウス(仮)の名前が「みなも荘」に決まった。

「波:水面=荘民:荘」の関係になっていたいとの想いからの命名。
波は、重なるときには大きな波になるが、離れれば元の形のまま。協力する時は、協力しあって大きなものを作るが、各々が自立しあって一人でもしっかりと存在できる。そんな波がキラキラ輝く場所が水面。

他にも…
・波はずっと拡がり続ける。荘民の人生に重なるところがある。
・「荘民:外部の方=すでにある波:多くの波がある水面に投げ込まれる石」の関係
・荘のある弁天町は海が近く、みなものイメージにぴったり

などなど、様々な意味が込められる形で命名された。
今、みんなが「みなも」を普通に使ってくれているのを聞くと、「みなも荘」、この名前はもっと前からつけられていたように感じる。


そして、翌日。8月30日。私が住み始めて、初めてのイベント。
「大人の自由研究」と題して、普段関わってくださっている方々を交えてのイベント開催となった。準備期間が短いとか不備もいろいろあったが、なんだかんだうまくいったのではないかなって思う。ちなみに、外向けにはこのイベントで新しい荘の名前「みなも荘」が発表された。

おとなの自由研究_みなも布


とりあえず、前編はここまで。
この時点で2200字を超えてしまっているので、後編はサクッと書きたいと思います。短時間でサクッと書く予定です。頭ではそう思っていますが、恐らく私の手はそう動いてくれない気がします。人間は合理的に動かないことの多い生き物ですから。 ” Sheldon!!”


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