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なつやすみにまちづくり #8 生活即舞台

昨日は和太鼓の演奏会を見に行った。
ぼくがお世話になっている和太鼓志多らとも交流の深い日本福祉大学付属高等学校の和太鼓部、楽鼓(らっこ)の演奏会だ。

毎年、和太鼓の全国大会が行われているのだが、今年はコロナの影響で中止になった。
そのため、楽鼓の部員は舞台で演奏する機会がなかった。
せめて、親御さんにはその勇姿を披露しようということで人数を限定して演奏会を行ったのだ。

ぼくはその演奏会のスタッフとして参加させてもらったのだが、一番驚いたのは準備の大変さである。

準備

まず、太鼓などの道具の搬入と舞台の設置である。
見た目以上に重く、またベンツが買えてしまうほど高級な太鼓を慎重に運ばなくてはならない。
この肉体労働だけで2時間ほどかかってしまう。
ぼくも汗なのか、冷や汗なのか、はたまたそのどちらもなのかわからない水分を流しながら重くて高級なものを運ぶ手伝いをした。

次に、照明の調整である。
曲によってはもちろん、曲中でも人や楽器の位置が変わるため、その場面を逐一再現して照明を調整していく。
これにも2時間ほどの時間がかかった。
ぼくは誰の役をやっているかわけもわからないまま、ここだそこだと言われるままに移動をして光を浴びた。

次に音響の調整である。
各楽器にマイクを設置してちゃんと音を拾うかをチェックしていく。
流石にぼくには手の出す余地がなかった。

最後にリハーサルをするのだが、結局公演まで6時間以上かかってしまった。
これでも短いほうだという。

これらの準備を通じて準備から舞台が始まっていることを感じた。
演出も舞台の大事な一部分を担っていることを体感したからである。

さらに言えば常に志多らのメンバーがよく言っている生活即舞台を理念として掲げていることも納得できた。
生活即舞台とは日々の生活がそのまま舞台に繋がるということを意味した言葉である。
このような講演会でもそうだが、大会のように多くのチームが出場する舞台のときには特に準備の時間が限られている。
限られた時間の中でテキパキ動くことは一朝一夕の努力で出来るものではないと感じた。

そんな意識を持った人達による舞台はとても力強くきらびやかに感じた。
舞台デビューだった1年生にとってはもちろん、なかなか活動ができない状況でできることを続けてきた2,3年生にとっても特別な舞台になったと思う。

今日の一枚

クラファン

和太鼓志多らのクラウドファンディングのサイトの写真である。
ウェブサイトを見てもらえばわかるが、活動のすべてが自粛対象となっている。
和太鼓だけでなく多くの舞台芸術の活動が存続の危機に立たされている。

ぼくは今まで舞台芸術に携わっている人と関わってこなかったので、気にかけたこともなかったが、これを生業としている人たちと深く関わったことでこのような事態を重く受け止めるようになった。

まず、この事態を知ってほしい。
もし、なんとかしたいと思った方は協力してあげてほしい。
ぜひ、よろしくお願いいたします。

志多らクラウドファンディングHP
https://camp-fire.jp/projects/view/280185