シアトルで大学が潰れて一ヶ月後
初めまして。
アメリカにて勉強している者です。ここ最近で起こったことを話します。ぜひ良ければ読んでください。
わたしはワシントン州シアトルというところで英語を三年間学び、そしてアートスクールに編入。
シアトルにて映像を勉強して2年、あと半年で卒業、そのあとはインターンシップやOPTを探し、そしてその後はどうしよう、と期待と不安の混じる中で、学校が突然閉鎖。
去年末ぐらいからそのような噂が流れていて、その頃は「来年は大丈夫」と言われ、今年に入り「あと半年は大丈夫」、そしてある火曜日、突然「今週の金曜日で学校は閉鎖します」という発表が。
当然学校はパニックに。卒業を残り三ヶ月に控える者や入ったばかりの生徒たちも多くいる中で、皆がそれぞれの文句を言いながらも、仕方ない、と他の道を探していきました。
わたしもその苦しい状況の渦に巻き込まれました。
F−1ビザの関係で、三ヶ月以内に他の学校に転入しなければ、アメリカに残ることはできません。もちろん卒業もできないままで。
必死にいろいろな学校にコンタクトを取り、条件や、それまでの単位を引き継げるかどうか、学費等を訪ね、のべ40校ほどの大学を調べました。
ただ卒業をするのではなく、それぞれの学校の評価や地域の治安まで調べました。
相当に追い込まれ、精神的にも辛くなってきて、参ってしまいました。
そこで周りの人たちは好き勝手に「あー大変だね」「えーかわいそう」という空っぽな言葉を投げつけ、わたしは追い詰められました。
わたし自身にも理想や、どういうことがしたい、その後はどうなりたい、という考えもあり、時間も迫ってくる中で迷いに迷いました。
そこで、わたしは学校を卒業をしたらロサンゼルスで一度は働いてみたい、だってハリウッドあるし、とぽやんと考えていたことを思い出し、その地域の学校に行くのはどうか、と閃きました。
「ピンチはチャンス」とはよく言ったもので、そのどん底から、微かな希望と願いを頼りに現地の学校を調べました。
そこに、その潰れる学校に協力し、単位を引き継げる、学費も同等ほど、という学校を見つけました。
それを見つけてからはすぐに連絡し手続きを済ませ、親を説得し、一週間ほどでそこに転入する手はずを踏みました。
晴れて、ロサンゼルスの映像学校に転入することができました。
シアトルの学校が閉鎖され、ここまでわずか一ヶ月弱。我ながらスピード感のある決断だと思います。
そして今現在、ロサンゼルスの寮に住み三日が過ぎました。
月曜日からわたしの学校がまた始まります。その模様を書き連ね、少しでも共有したいなと思います。
これからよろしくお願いします。
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